ベストバイ・ミュンシュ指揮ベルリオーズ『幻想交響曲』

5 Méseglise et Guermantes…

仮説としての*二つの方向*

さて、ミュンシュ、ボストン58年録音の全編を初めてしっかり聴いてみると、これが(驚いたことに)全然悪くない、ふつうによかった、と前に書いた。が、ここにはナラトロジーで分類すればparalipseにあたるプロセデがあり(笑)それはなにかというと、実はこのボストン58年録音を聴いたと同時に、ボストン62年録音も聴いていたのだった。
…というか、さらにいうと、ボストン58年録音を買おうとし、うっかり間違え同ボストン62年録音のディスクも買ってしまっていたのだった…(と遡り情報追加する手法はanalepseといいます・笑)
ところがこの、マイ失敗チョイスpt.2ないしbis、シェ・ベルリオーズが、また、何を隠そう(なぜ隠そう)、このポストを書いてみようかと思わせる、最終的な契機にもなる(なんか、超大作ポスト化していますが、意に反して。。;)…というのは、そもそもは間違えたのだが、この際、念のため…くらいのつもりで、このボストン62年録音もしっかり聴いてみたところ、ああ、なるほどなぁ。。と、思うところがあったのだった。
しかも、かくしてこのボストン62年盤を聴いてしまったことで(笑)ベルリオーズ『幻想交響曲』の大定番とされる、ミュンシュ代表作4録音を図らずも(笑)都合4作、全部聴いてしまったことになる。。HPポストにまとめる分には、これは十分な内容でないか…;)

ひとまず、この間違えて買った、ベルリオーズ『幻想』、大定番のミュンシュ盤(複数形)最後の1枚、62年ボストン新録のほうについても記しておくと、このアルバム、僕が子どもの頃はフィリップスのカタログにあり、闇の中にバレリーナらしき姿の浮かぶジャケットは印象的だったが、同じくアメリカ、ボストン響、ということで、個人購入リストからはしっかりと外していた(笑)
従って、こちらもようやく初めて聴いたわけだが、パリ管67年セッション録音、パリ管67年ライヴ録音に続いて--さらにボストン響58年旧録と併せて聴くと、このボストン62年新録も、決して悪い演奏、とは思わなかった。そこまでの引き出し、経験値も既にできており、もはやふつうに楽しんでしまった。
パリ管67年ライヴはいうに及ばす、ボストン58年旧録と比べても、確かにマイルドな演奏ではあるが、むしろこのボストン62年新録盤のマイルドさを好む人も多いのではないか。。
そう思うと、この4枚の*大定番*の中で、どれを選ぶか、という個人の選択には、
結局、クラシック音楽、音楽に、何を求めているのか、という、その人の趣味趣向、ないしは問題意識が反映されているのではなかろうか。…そう仮説を立ててみた。
つまり、シェマティックに単純化していえば、
何かこちらの心をざわつさせてくれるような音楽か;
それとも美しくこちらの心をなだめてくれるような音楽か。。
…そんな、*二つの方向だ*。

この仮定に従い聴いていくなら、まず67年ライヴ録音、パリ管イノギュレーション盤は、今改めて聴き直しても、確かに、血湧き肉躍る演奏…といえる。しかしこれを、乱暴とか、荒削りとか、やり過ぎとか、デタラメとか、力み過ぎ…等々と考える人は、必ずいるに違いない。録音もライヴで、ノイズもある。
僕はとにかく、聴いて楽しい演奏だと思うが、当然祝祭的な演奏であり、このはちゃめちゃな演奏を、何度もなんども聴けますか? ホームライブラリーとしてこの1枚だけを(という考えは、ストリーミングの今日もはや無効とは思うけど;)持ってれば、それでいいと思いますか?? と詰め寄られたら。。僕のお薦め意欲(笑)はやはり揺らぐ;)

では、結局、僕には長年飲み込めなかった、67年セッション録音、世間の主流派が推すこのパリ管版なのか、といえば、今回改めて聴き直してみると、僕の手元にある古いemi盤は、やはりさすがemi、とにかく、音が判らない。スコアを見ながら聴いてみると、さらにはっきり、判らない(笑)確かにその音形が鳴っているのは判るが、この録音では、何の楽器か判らない(笑)
emiがつぶれてワーナーに移り、今ではリマスターが進んだかもしれないし、録音のいい演奏=いい音楽、というわけではないとは思うが、それにしても、それにしても。。という気がする。

以上2枚は今回4枚の中のパリ管盤だが、
既に見たよう、そもそも、パリ管というのがフランス的な演奏を排除しているのだから、逆に、例の謎の出身国信仰にあくまでスティックし、
《ベルリオーズはフランスの作曲家だから、*フランス的*な演奏で聴いてこそ通!》
と考えるならなら、むしろ、パリ管にこだわる必要はなにもない;)
。。これ以外のミュンシュ盤、フランスのオケで…というと、これもパリ市の図書館で見つけて聴いたもので、フランス国立のツアー盤。緩急自在、生気に溢れる力演だが、とにかくこれまた録音が悪く、メインの1枚としてはお薦めしにくい。フランス的か、というと録音のせいで音が籠ってる感じはあるが、しかしフランス的、という以上にミュンシュ節を聴いてしまう感じがある(笑)

というわけで、本稿としては、その辺り、*フランス的*云々にこだわりたいなら、前身のパリ音楽院管とのクリュイタンス盤、東京『幻想』を聴くほうがよい、として、ミュンシュ&ボストン盤へ移るとすると、
(…ともかくパリ管は、インターナショナルなオーケストラになったわけで、それならもろに、ベルリン・フィルやアムステルダム・コンツェルトヘボウ、ロンドン響、シカゴ響、さらにはフランス国立管とだって、まともに比べて、メカニックに、合奏力で太刀打ちできるか??…という話になりますね・笑)

まずボストン旧盤、58年録音は、67年パリ管ライヴ盤にも通ずる、緊張力の高い演奏で、とはいえさらにまとまりもあり、録音のせいもあり、ひときわソリッドな印象を与える。先ほどの仮定の*方向*でいけば、前者、思わず引き込まれるような演奏が好みなら、これもお薦めの1枚、といえる。
ただ、確かに58年という年代を考慮に入れれば、奇跡の名録音、といえるだろうが、2楽章、3楽章、と聴き進めていくと、やはりさすがに音の広がりに乏しい。
…しかしこう考えてくると、68年没のミュンシュの、全てが半世紀以上前の録音に、明晰性を求めて比較していくのも、だんだん筋違いな気もしはじめる(笑)

以上を踏まえて、上述仮定の*後者の方向*、クラシックにはやはり美しさ、心地よさを求めたいなら、総合点でいけば、62年ボストン新盤、ということになるだろうか…。こうして全部聴いていって初めていえること、ではあるのだろうが、比較において当たりはマイルドかもしれないが、やはり同じミュンシュ盤、一番荒削りで鼻息の荒い(笑)67年ライヴ盤の持つよさにつながる魅力も、ちゃんとここには聴き取れる。
それでも、いやいや、やはり、音楽というのは真剣勝負、やるかやられるかの一期一会が醍醐味なんだ!!という人には67年ライヴ盤
ま、それはそうだけと、このライヴはさすがにやり過ぎ、破格過ぎ。。と思う人のライブラリーには、58年ボストン旧盤があるといい気がする。

 * * *

ベルリオーズ・イヤーには間に合わなかったが、昨年のアニヴァーサリーに僕が書こうとしていたのは、大体こういうことになる:
大定番とされるシャルル・ミュンシュ指揮『幻想交響曲』の複数の録音からベストバイを探る、というアイディアを横糸、ないし導きの糸として、
1. よくいわれる*フランス的*という形容の問題点を指摘;
2. 自分がある演奏を選ぶときの基準は何かを多少なりとも明確化
このかなり大き目のふたつの課題にアタック…。
ふと思い出した高校時代のエピソード、間違えて買ってしまったミュンシュ、ボストン62年盤を契機に、この際、書いてしまおう…と思ったわけだが、もう、これは、予想をはるかに凌駕する超大作。。(笑)
ここまで読んでくださった皆さんもお疲れかとは思いますが、
本人としても、かなり力尽きた感もあり(笑)
2020年、ベートーヴェン・イヤー…これについては、もはや何も書かないかもしれません(笑)
というわけで、それではこれにて今年も一年、皆さま、どうぞよろしくお願いいたします!

= 追記 =
フランス的なサウンドでこれなら演奏も面白く録音もまずまず聴けるのでは…ということで、これ、これはどうでしょう?
キエフ生まれですが(すみません;)コルトーに作曲を認められパリに連れてこられ、デアギレフ、ニジンスキーのバレエ・リュッスから、ブーレーズまで、20世紀フランス音楽界の全てを直接知っていた、マルケヴィッチのロシア、フランスものコフレ。オーケストラは古き良き時代のラムルーですが、フランスのオーケストラなんて独特の個性みたいなのが魅力なだけで、技術も不正確でリズム感もデタラメ…とかいうのはちゃんと音楽を聴かずにどこかで聞いた類型的な物語(ナラティヴ)を当てはめてる偏見で(笑)ラテン系のオーケストラの本当にすごいのをオペラやホールで一度でも聴いたことのある人は、そんなことはうかうかいいません(笑)
このベルリオーズは2楽章、Bal(ダンス・パーティのことですね;)を聴いて、最後のアチェランドで、体の踊り出さない人は、いないはず;)
Milestones of a Conductor Legend: Igor Markevitch cd | mp3 (’61)

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