ソーシャルメディア(fbページ、twitter)ではお伝えしてきましたが、マガジンハウスHanako
での過去作品の連載掲載、いよいよスタートです。
10月8日発売号のオープニングは、僕の新作書き下ろしエッセイ、
続く10月22発売号からの、本篇、連載掲載作品は、“She’s Rain”です;)
…今回この連載をお任せしたのは、まず、
そもそもマガジンハウスは、デビューからオリーブの連載まで、ある意味ではいちばんお世話になった、僕のホーム・グラウンドのひとつで、
当時のようすについては互いによく判っており、信頼できる企画だと判断できたからです。
たしかに、オリーブが復刊になるから…ということならともかく、どうしてHanakoで??というあたりは僕もあれこれうかがってみたのですが、
結局今回のリニューアルを担当される方に、
“とにかくもう一度、かわいい雑誌を作りたいだけなんです!” といわれ、
そういわれては、もう是非もない、僕にはNoとはいえません(笑)
他にもいろいろ理由はあったのですが、大きなものをふたつだけ簡単に書き留めておくと、ひとつ目に、
再読される、ということは文学の本質、文学は再読によって作られるもの、
というデビュー以来、80年代から一貫して強調してきました、僕の文学観、文学認識があります。
それがさらに世代、時代を越えた「再読」、つまり新しい読者へとつながり、リレーされるものとなれば素晴らしいでしょう…。
それにしても、もしこのお話をいただいたのが10年前、あるいは5年前であっても、今回のように快諾、とはならなかったようにも思うんですね。
それだけ年月が経った、この、僕が高校生の時に書いた短い小説を、それだけ距離を置いて見ることができるようになった、
ということもたしかにあるでしょうが、それ以上に、
《時代状況》という点がここにはあります。
いまの日本の《空気》は、全共闘世代とそれに後続する所謂シラケ世代、そしてその子どもたちによって作られているように思います。
では、それに対し、続く80年代の青春を送った僕らに何ができるのか。
80年代の青春を送った僕らには、どういうオリジナリティがあるのか。
どういうポジティヴな独自の影響を、この世界に与えることができるのか。
そんなことをいくらなんでもそろそろ少しまじめに考えてみもいい。
というか、考えないとまずい時期にきているように思います;)
その第一歩、となるかどうかは判りませんが(笑)
同世代のかつてのRainの読者だった皆さんに、もう一度Rainを読んでいただく。
そして、この作品の主人公たちとあるいはそろそろ同世代の、僕らの子ども世代にも、
かつて、こんな本がこの国で読まれていたことがあるんだよ、
明るくて、きれいで、楽しくて、素直で、真面目で、優しくて、
キラキラとした未来を信じて、弱いものいじめなんかしない。
強いものにへつらったりもしない。
暴力や優越感、人を踏みつけにすることで幸せになった人なんか、この世にはひとりだっていない。
誇りを持って、まっすぐ顔を上げて世界を見つめていた、
そういう日本があったんだよ、という事実を伝えていきたい、
しっかり伝える責任が、僕らの世代にはあるのではないか、と思うのです。
そのため、実際どれだけ役に立つかは判りませんが、ひとつの試み、一石を投じるものとして、今回の連載を考えたいと思うのです。
…しかしなんといっても17の僕が書いたものですから、30年以上の時を経て、この作品について、たとえば、どうしてここはこうなのか、などと訊かれても、もうまったく答えることはできません。
そもそも17の子どもの書いたものを、大の大人があれこれいうのも滑稽でしょう(笑)
そのかわり、一切変更なしで、単行本最終版のまま、全文掲載、
というかたちにしたい、と思います。
また、初回、10月8日発売号のオープニングとなる書き下ろしエッセイですが、
いろいろ話していったなかで、結局なにを書いてもらってよい、という話になりましたので(笑)
その時点で、いちばん書いてみたい、と思ったことを、素直に、真面目に書いてみました。
本篇、“She’s Rain”の連載とあわせて、こちらもどうぞお楽しみに。
それでは、fasten your seat belt — and lift off!;)
追記:
10月8日発売号(Hanako n˚1097)のオープニング特別寄稿を既に読んで下さった方のため、あちらでご紹介したボサノヴァを実際に聴いてみることができるよう、
tumblrポストにまとめておきました。=>
平中悠一公式tumblrブログ – a perfect day for gingham check
僕の原稿のコメントと比較しながら、どうぞお楽しみください!
…Hanako定期購読で割引! こちらより。