パリより:70年目の夏に。〜日当りのいい“女の子の学校”

日当りのいい“女の子の学校”

近道をしようとしていたのかもしれません。
いつもと違う辻に入ると、こんな建物があることに初めて気づきました。
明るい日射しを浴びた、感じのいいファサードには、トリコロール、フランス国旗がはためいていますね。公共の建物です。

porte近づいてみると門の上に、“女の子の学校”、と彫ってあります。
昔の、地区の運営する、公立の学校だったものです。
『失われた時のカフェで』のヒロイン、ルキが通っていたのは、もっと坂の上のほうですが、でもこういう学校だったのかもしれないなぁ、とふと思いました。
下の写真を拡大すると判ると思いますが、門の右手のグレイの看板に書いてあるように、いまでは幼稚園として使われているようです。
パリでは、こんなふうに、建物の元の名称などがそのままファサードに残っていることが多いです。
いいじゃないか、きれいだし、ということでしょうか。

ecolematernelle日本だと、問題のタネになる可能性が想像できるので、消す以外の選択肢は絶対にあり得ない、という固い考えにもなりそうですが(笑)
建物のいわれや歴史などがファサード、つまり外壁に掲示してあることも多く、
これを眺めて歩くのも、パリ散歩の楽しいところのひとつです。

『失われた時のカフェで』の中に、「ファサードを眺めて何が悪いんだ」という台詞が出てきましたが、だからあれはパリでは常識。
日本だと、人の家の壁をジロジロ見るとは失礼である、というような話にもなりそうですが(笑)
パリでは、ファサードには勿論、人に見せるための役割があるのです;)

そもそもだれが歩いても楽しい街パリ、ですが、そういう意味で、もしちょっとだけでもフランス語が読めると、その楽しさは、がくんと広がります。

さっきの、“女の子の学校”という昔の名称の上に彫ってあるのは、

“liberté – égalité – fraternité”

liberte-egalite-fraternite自由、平等、友愛。フランス共和国のモットーです。
共和国に生きる、ということは、この地において、この価値観を全面的に共有する、これが最低限の資格、といえるでしょう。つまり、この地に住んで、この価値観を共有するということが、共和国の市民の定義、ということになります。
最も肝心なのは、生まれや、育ちや、社会階層や、経済力や、人種や、宗教や、性別などなどではなく、この価値観を共有しているかどうかなんだ、という“理想”です。
フランスの公共の建物、市役所や区役所、税務署、学校、大学の建物には、繰り返し繰り返し、このことばが刻み込まれています。
毎日このシンプルな三語の刻まれた門をくぐる、ということは、一見小さなことのようでいて、オーヴァータイムでは、深く人の精神に働きかけてくるようにも思います。

では、この学校の右手はなにがあったか、というと。。。シナゴーグ、ユダヤ教会です。
synagogueパリのユダヤ教会の中心、大シナゴーグに比べると小さいけれど、なかなか立派な教会です。

…5区にあるパリのイスラム教の中心、大モスクには多くの人が行ったことがあるでしょうが—レストランやカフェもあるので(笑)—観光客であふれるオスマンの百貨店の奥へ入っていったところにある大シナゴーグは、パリにしばらく住んでいても、知らない、という人も多いと思います。。

見ると、こちらの建物の前にも、しっかりと三色旗が掲げられています。
今年1月7日のCharlie Hebdo襲撃以来、ますますユダヤ教関連施設はテロの標的、と考えられているわけですが、このフランス国旗が示すのは、
このユダヤ教会に対する攻撃は、フランス共和国全体に対する攻撃である、
というメッセージです。
さらには、三色旗の三色が象徴する、先ほどの、自由、平等、友愛、という、フランスの価値観に対する挑戦である、ということにもなる。お前はフランスと、フランスの価値観と戦うのか、といっているわけです(笑)

僕はフランスという国は、日本と同じで、絶対に戦争をやってはいけない、戦争に向いていないどんくさい国だ、と思っています(笑)
しかし、この三色旗の例のように、フランスは、共和国の精神にかけて、このユダヤというひとつのマイノリティ文化、ユダヤ教という“異教”を信じる自由を、フランスの一部として守るのだ、共和国の精神を共有する市民たちを守るのだ、という
その心意気だけには、やはり時々胸を打たれることがあります。
たとえ実際にはそんな単純な話じゃない、ある種の“フィクション”であるにせよ、そういい切る誇りと責任感だけでも、この国はまだまだ捨てたものではない、と思えるのです。

ecoledefillesretourne。。。さて、そこからもう一度、学校のほうを振り返ると、
並んだ二棟目の校舎のほうに、何やら黒い掲示が見えます。フランス語では、プラークといいますが、
たとえば、こういうところに書いてあることを、いちいち、ちゃんと読んでみるのです(笑)
さて、ここにはなんと書いてあるのでしょう?

近づいてみましょう。。

aurevoirlesenfants

。。なるほどー、と僕は深く唸るわけです。
しかし、ひとりで唸っているだけのつもりなら、そもそもこういう原稿は書かないわけですから(笑)
一応大意を日本語に訳してみましょう。。

quote
生徒たちの思い出に。この学校から、1942年-1944年の間
ユダヤの生まれであるために強制収容所に送られた彼女たちは、
ナチならびにヴィシー政府の残虐の
罪なき犠牲者たちである。

この9区の300人を越える子どもたちが
死のキャンプにおいて殲滅された。

2005年4月22日     決して彼らを忘れないように

…幼稚園の子どもたちには、この文章の意味はすぐには判らないかもしれません。
しかし小学校へ上がれば、ここに、自分の通った幼稚園に書いてあったことの意味が判るでしょう。
それに、父兄は毎日送り迎えに来るたびに、この文章を目にします。

…幼稚園は勿論、小学校の前にも、下校の時間になるとずらーっと迎えの大人たちが並びます。フランスでは、とくにパリでは、小学生にひとりで街中を歩かせる、などということは非常識、と考えられているようです。

日本の戦後の問題も厄介ですが、じつはフランスにも相当複雑な戦後問題があるということが、住んでみるといろいろに判りました。

ヴィシー政府、というのは勿論当時の正統な政府なわけですから、
つまりこのプラークは、フランスの罪を認め、それについてこう考える、という立場を明らかにするものです。それがだれもが毎日見る場所に、こうして掲示されているわけです。

さて、罪を認める、“謝罪”する、といえば、そう聞いただけで拒絶反応を起こす、大人になれない人たちが(笑)どうも日本人のなかにも2-30%はいるみたいです。
精神が未成熟、という実際のところを隠そうと、国益、とかなんとか、意味ありげなことばで話をすり替える人も多いようですが、隠れてませんね(笑)
このコンプレックスは、いくつかの原因が絡まって合併症を起こしているので、
なかなか治癒が難しいのですが、ひとつひとつ見ていけば、それぞれの原因は、どれもじつにナイーヴなものでしかありません。

そこで今回、僕のほうからは、ぜひこの心の病の症状を多少なりとも改善する一助にしていただきたい、みっつの視点、発想の転換法をご紹介しておきます;)

まずひとつ目のポイントは、“あなたはちっとも悪くない!”ということです(笑)

よく、謝れ謝れ、といわれても、戦争したのは私じゃない!という、いわなくてもみんなが知っている、当たり前のことをいい出す人がいます。
それは自明です。全くその通りです。僕だって、僕が戦争をしたわけじゃないので、当事者としての責任はない、と思っています。
だからこそ、距離を置いて、あの戦争はよくなかった、と普通に、いわば、*人ごとのように*思えるわけです。いろいろまずいことをしたもんだ、子孫としては、ほんとに申し訳ない、と素直に思えるのです。
つまり、戦争したのは私じゃない!という人に限って、実はあべこべに、ほんとうに自分の責任だ、と感じているのだ、ということです。
ですから、まず最初にしっかりお腹の底から理解すべきことは
“あなたはぜんぜん悪くない!”、これです。

さて、その流れで、ふたつ目の問題は、“謝る”という概念自体についての勘違い、です。
以前、tumblrブログのほうで、「なぜフランスではいい訳はすればするほど感じがいいのか?」というお話もしましたが(笑)
確かにかつて封建時代の日本では、謝る、非を認める、ということは、お家は断絶、身は切腹…というようなことであったようにお芝居などは伝えています。
しかしいまは、もう封建時代ではありませんね(笑)
「なにぃ、謝れだと? お前、俺に死ねというのか!?」
いえいえ、そうではありません。
“謝れということは、何も死ね、といっているわけではない”
のです。その感覚は、封建時代の常識で、過去の常識です。サポートが終了しています。
いますぐアップデートして下さい(笑)

では“謝る”というのはどういうことなのか。
何もフランス語がフツーに判るようになって下さい、とはいいません(笑)
中学校の英語で十分なんですよ。要は、
ちゃんと聞いてなかったでしょう、中学校の英語の授業?
という話で(ね? 正直いって、あんま聞いてなかったですよね?・笑)
聞いてなかったからといって、べつにそれはいいのですが(責めてませんよ、念のため!・笑)
それで国際政治を考えようというと、その場合は、やはり若干厳しいものもあります;)
思い出して下さい、謝る、ってなんていいましたっけ?
つまり、世界の人が「謝る」という場合、この日本語を念頭に置いているわけではないのです。当然ですね。
では、彼らの念頭にあるのはどういうことばでしょうか。
まずそれはexcuseでしょう。
これは、説明する、申し開く、という意味です。
apologyということばもありましたね。
これはそもそも、弁護、弁明、ということです。
つまり、世界の人たちが「謝罪」を求める時には、
その件についてどう考えてるのか、どうしてそうなったと思うのか、何が問題だったと考えているのか、どうすればいいと思っているのか、というようなですね、
そういう説明、そして立場の表明を求めているわけです。
…つまりまさに↑↑のプラークがやっていることですね;)
その一貫性が求められているので、
だれも腹を切れとも死ねともいっていません(笑)

そして最後のポイントは、“謝罪をする時には、いつまで続ければいいのか?”という問題です。
これも、答は簡単:永遠に、です。
まず、それがほんとうに自分の考えであれば、何度訊かれても答は同じ、なはずです;)
次に、いつまで謝ればいいのか、もうこんなに謝ったのに、というのは、子どもが親に、
あるいは夫婦や恋人、つまり、身内、家族の間でだけいえることです。

…以前オリンピックのスケートの選手の浅田真央さんへのThank you note、というのを、これもtumblrブログのほうで書きましたけども(笑)
あの件の裏にも実は同じ問題がある、と思うのですが、
どうも日本人は、韓国人や中国人と同様に、家族以外の人間関係、社会、ひいては国際社会までも、家族のアナロジーで捉えようするところがあるのかもしれません。
「いつまで謝ればいいんだ、こんなに謝ったのに!」
確かに、例えば、浮気をした人が配偶者にこんな甘ったれた恨み言をいう、というようなことは、洋の東西を問わずあるでしょう。
しかし、それは、家族だからです。家族はお互いに理解し合うものだ、愛し合い、助け合うものだ、という前提があるからです。甘えが許される関係だからです。
外国との関係は、そうではありません。
言語も、文化も、歴史も、感覚も違う外国人に、説明せずとも判れ、というほうがどだい無理な話です。
しかもそれが年月が経ち、担当者もお互いに変わり、どうも相手の考えが判らなくなってきた時、
「ところで、例の件は、前任者のあの立場を踏襲されてるんですよね?」
と確認するのは、むしろ当然です。
そしてその時には、何度でも自らの立場を説明(=謝罪)するのは、当り前のことですし、
それはひとつも屈辱に感じるようなことではありません。
赤の他人、とりわけ異邦人たちと付き合う時の、ごくごく通常の手続きです。

…というわけで、ずいぶん話は脇道に逸れてしまいましたが(笑)

日本は、このフランスの、自由、平等、友愛、のようなモットー、日本人全員が共有する価値観、
しかも世界中の人たちに、理解され、憧れられ、尊敬されるような、
そういうコンセプトを打ち出すことがまだできてはいません。

そこで僕は、全ての公立学校の入り口に、これを刻んではどうか、と思うのです;)

quote
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。

なんという潔さ。なんという颯爽とした思想でしょう。
しかも、人間の世界を規定するのは、現実ではなく、理想である、といい切っています。
現在ではなく、未来、今日ではなく、明日。
私というものの価値は、今日の私で決まるものではない、
私の価値は、明日の私の中にある、そういっているのです。
こんな前向きな、こんなポジティヴな思想がどこにあるでしょう。
しかもそれが私たちの憲法、なわけですから!
もしも世界の人たちが憧れる現代日本、Cool Japanというものがあるとすれば、その根底となるものは*ここ*以外のどこにもないでしょう;)

70年前の生徒たち。
助けることのできなかった、あの日の子どもたちへの“謝罪”を率直に刻んで
日射しを浴びる、このパリの学校。
もう一度、その姿を見て下さい。
僕は僕の日本が、同じように日当りのいい僕のふるさとであることを、
心深くから祈っています。

ecoledesfilles2

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