…とりあえずCDを中心に、パリにきたから出会えたと思えるものを。2007年に書いたまま放置されていたプレフェースはこちら

ショパン、新次元〜4つのスケルツオ編| #新譜早耳2021

いや、あのね、今回は「ことばの綾」ではありません(笑)ほんとに来ちゃった、21世紀のショパン;)

Chopin Études Op. 25 – 4 Scherzi – Beatrice Rana | cd

Twitterでは、日本発売前に大騒ぎして速報もしましたが(笑)ラヴェル「鏡」ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」でも、そしてバッハ「ゴルトベルク」でも、絶対に無視できない、赤丸新譜をリリースしてきた28歳のイタリアの新鋭が、デビュー盤以来のショパンにアタック。
…ロックダウンで、バッハに走る若手がやたら多かったのですが、この人はわりと近年そのステップをクリアしちゃってたので(i.e.ゴルトベルク;)

前回の「ワルツ〜エテュード」編では、例えばポリーニ聴いてるからもういい、といって、考えたら、もう何年も聴いてないぞ、ショパン。。みたいなことになるのは勿体ない、新譜には新譜のよさ、新しい感覚があって、温故知新、よく知ってるはずの名曲の魅力を新鮮に再び体験できるのですから。。くらいの意図のポストでした。
が、今回は、違います(笑)
これはレーベル公式のようなので、もうヴィデオを直接クリップしておきますが、まず、これを聴いてみてください:



Beatrice Rana plays Chopin: 12 Études, Op. 25: No. 1 in A-Flat Major

はい。もう、説明は要らないでしょう(笑)こんな美しい、ショパン、エテュード、聴いたことない(笑)
1音目の後のポーズに「えっ?…」と思わず息をのんだら、あとはもう、なす術もなく、この人の歌心に、どこまでも運ばれていってしまいます(笑)

…しかし最近のクラシック新譜は、オフィシャルで、全曲ヴィデオが上がっていたりします。もう完全に個々のタイトルを販売すること自体は諦めたのか? それでアーティストは、どうやって生活していくのか? やっぱりカスミを食べて生きているのか?? 謎は深まります(笑)

確かにエテュードに関しては、前回リシエツキDG新盤を紹介してしまったばかりであり、まぁ、既に昨年のことではありますが(笑)名作とか、名盤とかいうものは、そう毎年のようには出てこないのが普通です。
(レコード大賞とか日本の出版社の文学賞は別の目的(i.e.セールス)があるので毎年ですが、ショパン・コンクールは5年に1度です;)

しかし、ベアトリーチェ・ラナの演奏は、タイトルにも書きましたが、また「新次元」で;) 1曲だけ聴いても判るとおり、これまでの誰の演奏にも似ていない、独自の音楽性が明らかです。

さらにこのアルバムには、スケルツオ全曲が収められています!
バラードについては、これも以前に特集ポストしましたが;)
スケルツオといえば、僕の子ども時代、LP時代には、何といってもアルゲッリッチの2番、3番で、これ以上の演奏はないのではないか、ただただ1番と4番がないことだけが惜しまれる…という感じがありました。

どうもこれもオフィシャルにヴィデオが上がっているようです:

アルゲリッチの演奏は、非常に*マジカル*で、真面目に聴いているとだんだん魅入られるようなところがある(笑)
「5本の指に5つの神が宿る」、とは、グールドの演奏のことですが(といってるのは僕だけですが;)
アルゲリッチの演奏も、違った意味でまたそういう感じがあって、なんでそういう風に聴こえるのか…と耳を疑うようなところがありました。結局これは、5本の指の5つの神のなせる業、だったのではないか、と今では思います;)

凡百の一流ピアニストが(笑)下手に真似をしようとすると、自滅してしまう。
それをいうなら、モノラル時代のホロヴィッツは、アルゲリッチ以上にそんな演奏でした。
バラードにはまだいろんな可能性もありそうですが、スケルツオに関しては、まぁ、このふたりの演奏があれば、それであとは、もう絶後であろう。そんなふうに納得できたところさえありました(笑)

さて。このように、しれっとアルゲリッチ、ホロヴィッツと、過去の大名演へのリンクを張っておきました。
ということは、つまりベアトリーチェ・ラナ新盤と、これらの演奏を聴き比べてもらっても構わない、いや、むしろこれら過去の大名演をもしも知らない人は、まずは聴いておいてください、ということで(笑)
このふたつの非常に個性的で、かつ非常に説得力のある演奏と比べても、個性、説得力、ともに引けを取らないのでは??と思ったから、です;)

ショパンといっても、高校生が弾くものから、コンサート・ピアニストが弾くものまで、
そこには大きな弧を描いて、さまざまな演奏のヴァライエティがあります。
その一群の音楽から、ホロヴィッツやアルゲリッチのスケルツオは、飛び離れた位置にある。——まぁ、本当に今はじめてアルゲリッチとホロヴィッツの音楽を聴いた、という人がどう思うかは判りませんが、ベアトリーチェ・ラナもまたそうで、
まず、一般によく弾かれるショパン、というものがある。さまざまな「個性」があるけれども、しかし一定の範囲に収まるショパン。コンヴェンショナルな、といってもいいでしょう。
もちろん、そういう「よくある」ショパンとは違うものにしたい、自分の個性を出したい、もっといえば、聴衆を「あっ」といわせたい。特にプロの演奏家、レコーディング・アーティスト、新人にはそういう演奏はよくあります。新人のショパンを聴いて、「個性的な演奏」が始まると、「またか…」と思う、というのが正直なところです(笑)
しかし、そういうよくある若手の演奏とは、レヴェルも、質も、まったく違う。
スケルツオ3番を聴いてみてください:

Beatrice Rana plays Chopin: Scherzo No. 3 in C sharp minor, Op. 39

エテュードの場合と同様、確かにベアトリーチェ・ラナの演奏も、最初から完全に*違い*ます。ところが、よくあるプロのピアニストの「違う演奏がしたい、聴衆をあっといわせたい」という、*違うために違う*演奏とは、実はこれはまったく違う。だんだんそれが判ってきます。
新人のショパンの「個性的な演奏」が始まると、「またか…」と思う、というのも、その「人と違った」演奏は、必ずどこかで破綻する。とりあえず人と違うことを思いつきやってはみても、それが全体の中で有機的に機能しない。または演奏全体がショパンの音楽として機能しない(つまり、目的が*違う*こと自体だと、単に*違う*という目的だけが達成されるわけです・笑)。その「個性的な表現」は、宙に浮いてしまいます。
ところがベアトリーチェ・ラナの演奏は、まったくそうではない。あまりの違いに、息をひそめてその音楽に従いていくと、どこまでも破綻することなく、え、じゃあ、次は? うん、じゃあ次は?…と耳を傾けているうちに、気づけばそのまま、最後まで、すとん、と音楽の出口に出てきてしまう…。
つまり最初から明らかに人とは違う彼女の演奏は、違うために違う演奏などではなく、必然の演奏だった…。そうナラティヴに、順々に、理解させられることになるのです。。

スケルツオ3番では、その出口の手前、コンクルージョン前の、この最後の長調の*clairière 開(ひら)け*を、ここまでの開放感、スペース感を持って、このコントロール、最大限の息の長さで、一歩も退かず、どこまでも、遥かに聴き手を送り出していく。こんなことができたピアニストはこれまでにいません。少なくともホロヴィッツにも、アルゲリッチにもできなかった。

この秋は、折りに触れ、この彼女のルバートが、いつしか、いつも、ふと耳の中に鳴り響いてきましたが、これからは、多分、スケルツオといえば、ベアトリーチェ・ラナ。でないと、もう、何か物足りない(笑)
つまり、ショパン新次元;) 季節も、月日も、このインパクトは越えていきそうです。

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前回「新しいショパン」ということでポストして(昨年ですが;)、今回またショパンの話題はまぁ、いいか…と思っていたのですが、ラジオでたまたまベアトリーチェのインタヴューを聴いて、ふと考え直し(笑)このポストを作っておくことにしました。
お楽しみいただけましたら幸いです;)

ラジオでは、ロックダウン後久々のツアーで嬉しい、という話、聴衆の前だから可能な演奏、特に、聴き耳を立てた聴衆の沈黙の上に音を乘せて行く、緊張感と喜びについて語っていたのが印象的でした。
当日のリヨンのコンサートにはまだ空席がある、みなさんはラッキーですよ、とDJはいっていましたが、ホールへの客足はなかなか戻ってこないものなのかなぁ、と思ったり。
プログラムにドビュッシーのエテュードがあるけど、これが次回の録音ですか?と訊かれ、南イタリア人はみなそうですが、私は非常に迷信ぶかいので、先のことは何もいいません、とラテン人らしいこともいっていました(笑)

「新しいショパン」として、フランスのメディアでは絶賛の新譜ですが、人と違う、その個性的な演奏についてもやはり質問されていて、他の演奏との比較は難しいですが、私は他と違う演奏をしようとは思わない、ただ楽譜と上手くつながろうとしているだけで、何よりも私に霊感を与えてくれるのは楽譜です、と答えていました。両親がともにピアニストであることや、先生になかなかショパンを弾かせてもらえなくて腹を立てたことなども話していました。もし私が弾くとしたら…というイメージ・トレーニングが、子どもの頃から積み重なっていたのかもしれないな、などと想像もしました;)

スケルツオだけでなく、エテュードのほうも、作品25全曲をひとつの大きな作品として弾き切っている。もちろん、一息にとはいきませんが(笑)それでも息を継ぎながら、大きく歌いきっている…という感じで、こちらもお薦めです;)


『クラシック名曲名盤 #新譜早耳2020』
〜全497ツイート/1417枚試聴!!〜

ストリーミング時代の、新しい音楽の聴き方
昨年のクラシック新譜1417タイトルを全部試聴、これは!というトラック497をツイートで紹介、丸ごと一冊に。
だから短い、すぐ読める、
試聴用リンクで全曲無料試聴も可能!
自宅でステイ・セーフしつつ、いちばん新しい時代の風に吹かれてみては?

作品についてのコメントはこちらへ。

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