N’écoutez les conseils de personne, sinon le bruit du vent qui passe et nous raconte l’histoire du monde.
– Claude Debussy誰のことばにも、耳を貸すな。
ただ、ざわめき、風のわたりゆき、語る世界の物語の他は。
– クロード・ドビュッシー
2018年は没後100周年のドビュッシー・イヤーでした。
好きな作曲家、音楽家はと訊かれれば、ドビュッシー、いろいろあっても決して変わることのない、僕にとっては10代以来、これは不動の1位を守り続けてきたわけですが(笑)
ドビュッシー・ファンにとって、今年はまさにお祭りのような1年、これだけ長くドビュッシー・ファンをやってきてw よもやドビュッシー・ファンなどというものに(笑)こんなrewardingな年が訪れるとは…夢にも思わなかった1年でした;)
特に命日に当たる3月25日は、ラジオフランスの音楽局が丸1日ドビュッシーで押し通し、中でもそのピーク・ポイントは、パリ16区、パッシー墓地から生放送、フランス国立管のフルートの1番に、ドビュッシーの墓前でフルート独奏曲「シランクス」を吹かせた、こちらです:
Debussy : Syrinx par Philippe Pierlot sur la tombe du compositeur
ラジオ放送で、演奏後、出演者が口にしているとおり、なんともいえず、感動的なものがありました。フルートの音に応えるかのように、微かに聞こえてくる鳥の声(ヴィデオでは50sあたりより)も、非常にパリジェンヌ;)
その後、同じパッシー墓地に眠るゆかりの人物、フォレなどの墓前を回りながら、ドビュッシーの人生についての話も進みますが、特に晩年のドビュッシー、ドビュッシーのナショナリズムとラヴェルの愛国心、第1次大戦開始後の死と葬儀、などの興味深い話が続きます。女性関係と、そこも含んだフォレとの関係など、初めて聞く人にはきっと驚くような伝記的エピソードもいろいろ挙げられています:
いうまでもなく、今年はドビュッシーの録音も山のようにリリースされ(笑)中には便乗としか思えないもの、ピアノでいうと、かつて僕が若い頃には中堅どころ、レコーディングのスターとして活躍していた名手たちが、もはやテクニック的にはかなり怪しげになっているものなどもままあり、時の流れに思いをいたしたりなどもしたわけですが(笑)
そんな中、やはり、もしひとつだけ、このドビュッシー・イヤーを代表する作品を挙げるとしたら、こちらでしょうか:
何しろ33枚組ですから、そのため今回のポストも「パリで見つけたこの1枚」と題することができなかったわけですが(笑)↑↑のラジオ番組で墓所を回って話しているミュジコローグ(Denis Herlin)の監修で、これまででもいちばん網羅的な全集、奏者も有名な人ばかり。なにしろ膨大なので、僕もまだぜんぶは聴いていませんが(笑)特にファン、マニアに嬉しいのは、若書きのロマンティックな習作的作品(e.g.ピアノ三重奏曲、春の挨拶)や、音楽院時代のローマ賞応募曲、さらに未完作(e.g.アッシャー家の崩壊)など。。晩年、第1次大戦下の「もう家のない子どもたちのクリスマス」、最後の作といわれるピアノ曲「燃える炭火に照らされた夕べ」まで。おまけには、これも若き日のサロン的なお仕事で、他作曲家作品のピアノ連弾への編曲(e.g.マダム・フォン・メックのためのチャイコフスキー 白鳥の湖)などの他に、ドビュッシー自身のピアノロール録音も1枚入っています。全曲目とあわせ、詳しくは、輸入元情報をご覧いただきたいのですが、コアなドビュッシー・ファンならば(笑)是非とも欲しい1枚、否、33枚組、といえるのではないでしょうか…;)
若書きの習作、ローマ賞応募作、ということでは、こちら:
Music for the Prix De Rome
ローマ賞、というものを僕が初めて聞き知ったのは、ベルリオーズの幻想交響曲の解説でしたがw 音楽賞としては、ベルリオーズの当時から、フランスの後の大作曲家たちが登竜門として数々応募した権威ある賞で、受賞者はローマに留学できる、というもの。件のベルリオーズも4回目の挑戦で受賞、ということですが、ドビュッシーもなんども応募しており、その応募作を集めた2枚組。いや、こんなものがまとめられるというのは、作者としてはちょっとどうなのか…とも思うのですが(笑)このアルバムを録音した指揮者のエルヴェ・ニケは他のフランス人作曲家のローマ賞応募作品集も続けてリリースしており、マニアックなファンにはなかなか面白い好企画(サン-サーンスなんて、最後まで受賞しなかった、その応募落選作を集成・笑)。
ドビュッシーの受賞作、放蕩息子はもちろんLe Gladiateur(剣闘士)など、オーケストラ伴奏が嬉しい。
なお、ドビュッシーは3回目の挑戦でローマ賞を受賞、そうまでかんばったわりにローマが落ち着かず、早々にパリに戻っている、というのもドビュッシー・ファンにはよく知られた逸話;)
Salut printemps(春の挨拶)なんて、どうも僕には、どことなく、宝塚のようにも聴こえてしまうのですが。。(笑)
ドビュッシーが独自の語法を確立する前の、親しみやすいメロディーを持つ美しい作品ばかり。大作曲家の青春賦として、是非一度聴いてみて下さい。*曲目、輸入元情報はこちら。
ローマ賞受賞作の放蕩息子、原題 L’enfant prodigueを“enfant”つながり、ということで、ラヴェルの1幕オペラ、子供と魔法とカップリングしたこちらは昨年のリリース、でしたが;) 現代のスター・テノールの一人といえるフランコフォン(フランス語話者)、アラーニャも参加しており、よりメジャー感もあり(笑)これまた大変美しい1枚:
Ravel: L’enfant et les sortilèges – Debussy: L’enfant prodigue (Live) *曲目、輸入元情報
山のようにあった今年のドビュッシー新譜の中から、もう1枚、僕には非常にいい印象が残ったのが:
Debussy: Études Élodie Vignon
フォレの場合もそうですが、ドビュッシーも晩年の作品は若い頃の作品と比べ、ぐっととっつきにくいところがある。
余計なものが落ちて、より本質的な方向で深まっているというか、たとえていうなら、印象派として知られるドビュッシーですが、晩年の代表作、白と黒でに象徴されるよう、若い頃の前奏曲のような判りやすい色彩感ではなく、いわばもっと墨絵のような、渋い複雑さ…とでもいいますか。。
例えばギーゼキングの録音なんかで最初に聴いた頃なんかも、まだそういうような印象を持ち、ちょっと横へ退けておいたような感覚があります。それがこのエロディ・ヴィニョンの演奏を聴くと、非常に豊かな色彩を感じる。
内田光子が以前、この曲集について、非常に調子がよくて、運もよければ、完璧に弾けないこともない、そのくらいの難しさ、というようにいっていましたが(個人の記憶です;)
そういう難曲さをほとんど感じさせることもなく、それこそ、前奏曲集を楽しんでいたような感じで、美しく聴いてしまえる、しかも、とても暖かい。。
フランス人ですが、ベルギーを拠点としているため、フランスでもそれほど知られていないピアニストなので、僕としては是非紹介しておきたい、と思います。
youtubeにもインタヴューが上がっていましたが、ベルギーは長いはずなのに、これは恐らく、このインタヴューアの抱える固有の問題のためか(笑)どうも話が噛み合っていない、
しかしともかく、このアルバムの終盤に、エテュード各曲の1部を弾いて、それに合わせて詩を読んでいるトラックが収録されているのですが、これは彼女のための書き下ろし作品で、彼女がピアニストというだけでなく、パフォーミング・アートやダンス分野などにも取り組んでいきたい、ということがあるためらしい、ということが判ります;) *曲目、輸入元情報はこちら。
実は、33枚組が無理なら(笑)この彼女のエテュード・アルバムで、2018年、ドビュッシー・イヤーを締めくくる*この1枚*、というポストにしようか…とも当初は考えていたのですが、この年末の土壇場になって、
もう1枚、ドビュッシー、エテュードの新譜を聴いてしまいました:
ドビュッシー:12の練習曲、見出された練習曲、ラヴェル:夜のガスパール ヨゼフ・モーク
第1曲(五指のためのエテュード、ムッシュー・ツェルニーに従って)を聴いた時は、もう圧倒的(とりあえず、この1曲だけでも聴いてみて下さい)
…はぁー、今時の若いピアニストがばりばりに弾いちゃうと、こうなるのかー。。と思ったのですが、
ずっと聴いていくと、ばりばりではない部分もあり、そこに不思議な間合いというか、ちょっとよく判らない違和感、サスペンスもあって、逆にこのピアニスト、この先、もう少し聴いてみたい…というような気もしました(笑) *曲目、輸入元情報
しかし、↑↑のエロディ・ヴィニョンのような明るい色彩感、暖かさ、優しさを感じさせる演奏とは、この演奏の持つ魅力はまったく違います;)
エテュード、ということなら、ジャン-エフラム・バヴゼも非常に魅力的、と思うのですが;)
最後にもう一度ラジオ・フランス、ドビュッシー・イヤーの放送に戻ると、
このピアニストのインタヴューが30分の帯番組として1週間放送されていた時があって、そこで聞いたドビュッシーの音楽と自分の関係、ドビュッシー再発見のエピソードが非常に印象的でした。
いわば、この人の、ドビュッシー体験のお話です。
フランス音楽、ドビュッシーの話自体は12mn40sあたりから始まり、後半の本題は、16mnから。
曰く、ラヴェルの音楽はまだ判る。まだ古典的な音楽概念で演奏家が理解できる手がかりがある。
しかし、ドビュッシーは完全な謎。どうなっているのか、理解できない。和声はもちろん、形式だって、毎回新しい。
ドビュッシーは自分は全然革命的じゃないなどといっていたが(*こちらを参照、下のフランス語引用)、全てを打ち壊し、革命を起こしてしまった。
即興的で、自由で偶発的、自然に響くべきものとして書かれているが、巨大な作曲家の仕事の成果、ルーペで見ると、いや、ルーペじゃ足りない、顕微鏡で見ると、毎日いまだに考えてもみなかったような発見がある。
--ではどういう啓示によってそのドビュッシーの音楽に遂に入っていくことができたのですか、と訊かれると:
自分の有名な先生たちは、いつも、偉大なドビュッシー、ああ、なんて偉大なドビュッシー。。しきりとそう讃えていたものだけど、
自分は、プップッ(と破裂音を立てていますが、これ、フランス人はよくやります・笑)
なんのことをいっているのかまったく判らなかった。音楽的には興味を持てたし、ピアノ的にも独自性があり、演奏もしていたけれど、でもその伝える感情が、判らなかった。学生時代、ずっと25、6歳くらいまでは。
それは、その10年後のこと。
私は日本で、ホテルの部屋に一人きり、つまり完全に日常の雑事から切り離されていたわけです。
そこでカラヤンのペレアスとメリザンドのディスクをかけ、すると、…ゴローがやってきて、ペレアスが…。突然、泣いている自分に気づいたのです。
何が起こっているのかも判らなかった。子どもみたいに泣きはじめて、
ああ、なんて美しい、これは、なんと美しい。。
そしてその感覚は、その後少なくとも3年間、私を去ることはありませんでした。
というのは、ドビュッシーを聴くと、最初の3音でトランス状態、完全に忘我の境地。。
いまはもうそこまでのことはないけれど、即座に涙が目に溢れたのです。
音楽が魂を貫いて、もう、こんなふうに(とやって見せています;)息もつけなくなる。
本当に不思議なことです。他のどんな作曲家でも、そんなことは起こらなかった。。
…大ピアニストにして大ペダゴーグである人にのみ許されたものであろう天啓、コアな体験と、一ファンの薄ぼんやりした感想とを比較すること自体、甚だ失礼とは思うのですが(笑)
ドビュッシー・ファンならこの話、なんだか非常に判るというか、
うまくいえなかったドビュッシーの音楽の魅力を、非常に的確に説明してもらえたような気がしました;)
Debussy: Complete Works for Piano Jean-Efflam Bavouzet
これがそのバヴゼのドビュッシー・アルバム。*曲目、輸入元情報
練習曲も素晴らしいのですが、もし1曲だけ聴くとしたら、子供の領分の第1曲:Children’s Corner, L. 113: I. Doctor Gradus ad Parnassum
こちらを聴いてみてください。
これもまた、↑↑のヴニョンの明るく暖かな演奏とはまったく異なる魅力ですが、とにかく推進力があり、聴き手をぐいぐいぐいと引っ張っていく。初めて聴いた時は、
おーーーーーーーーーー、と大興奮、でした(笑)
…というわけで、とにかくドビュッシー・ファンにはいろいろ、いろいろと、盛りだくさんな2018年、でしたが、数々聴いたディスクの中でも、この1年の白眉、と思ったところを中心に、ごくごく簡単にまとめておきました。
ひとつでもドビュッシーの新しい録音で、気に入ったものを見つけていただければ嬉しいです。
…ということで、本年、こちらの公式サイト、オリジナル・ポストとしては、3本目にして最終回、ということになってしまいました。
来年は、もう少しポストできるかな??
しかし、ソーシャルメディア、FBやtwitter、tumblrブログにはわりとたくさんポストしたように思うので、まぁ、いいのか、とも思いますが。。(笑)
どうぞ各ソーシャルメディアも↑↑フォローしておいて下さい。
それでは皆さま、よいクリスマス、よいヴァカンス、そして、どうぞよいお年をお迎えください!
=追記=
さらに、本当の年の瀬になって、もう1枚、このドビュッシー・イヤーを締めくくるエテュード・アルバムの新譜を聴いてしまいました;)
Debussy: Etudes / Messiaen: Fauvettes de l’Hérault – Concert des garrigues – Roger Muraro | mp3
メシアンのピアノ・ソロ作品全集が印象深いムラロ、出るべくして出た、という気もする、この1枚。カップリングもメシアンのドビュッシー生誕100年記念ゆかりの未完作品ですが、エテュードも、これまたこんなエテュード聴いたことない、緩急自在に、独自の造形を浮かび上がらせ、まさにここからメシアンの音楽はあと1歩。。という感覚です。(輸入元情報)
1曲だけ聴くなら:
V. Pour les octaves. Joyeux et emporté, librement rythmé
あたりか?? ぜひぜひ。