パリで見つけたこの1枚*日本では恐らくふつうに無視される、パリジェンヌなメリー・ウィドウ;)

B00005A9OB以前マガジンハウスHanakoでペク・コンウのフォーレ・アルバムをご紹介した際、実はこのHPのシリーズ『パリで見つけたこの1枚』の第1回で取り上げよう、と思っていたのはこのアルバムだった、と書きました。
パリに来たからこそ出会えたもの、という主旨のこのシリーズですが、
Hanakoにも書いた通り、韓国人の弾くフォーレ、などというものは、日本ではふつうに無視されそう、
よりインターナショナルで、演奏のメカニックな部分が評価され得るドビュッシー、ラヴェル、メシアンあたりならともかく、なんともフランス的な感覚のある、フォーレとなると。。
つまり、日本のクラシック・ファン、レコード評論家の間には、
非常に根深い*出身国信仰*とでもいうべきものがある(と、ここも確かHanakoに書きましたね。。;)
ドイツ、フランス、イタリア、ロシア…その作曲家の国籍と一致する奏者か、指揮者か、オーケストラか、せめてどれかひとつでも入っていると、
さすがに同じ(例えば)ポーランドの出身だけあり、作曲家の本質を見事に捉えている、
などといったことが、まぁ、非常にスムーズに書けてしまう(笑)
…こういうところにも、日本の*パラテクスト*偏重の国語教育の累が及んでいるのではないか、と思うのですが(笑)
しかし、作曲者と同じ国の出身者が混ざっているからといって、それで正統的な演奏、とはいえません。
たとえば、フランス人といっても、イタリアや、スペインの血がどこかで混ざっている、というのなど当り前だし、大体現代の国と19世紀の国は、地図を見ても一致してないわけだしね…。
そういえば、最近気づいたのですが、レスピーギの子孫は、パリで銀行員をやってるようですよ(笑)

その意味で、『パリで見つけたこの1枚』、ムッシュ・ペク(ヴェテランの、パリジャンです;)のフォーレに続き、
第2弾としてご紹介しよう…と予定しながら、マボロシ化していたのが(笑)
この『メリー・ウィドウ』——いや、この際、フランス語で、La veuve joyeuse、と呼んでしまいたいところ;)
まぁ、これはほんとにすてきな、旧き佳きパリの香りの伝える演奏で、
まぁ、ぜひ一度、騙されたと思って、聴いてみていただきたい(笑)
が、しかし、です。
この演奏もまた、まぁ、まず日本では高く評価されることはない、と思うわけです。
だからこそ『パリで見つけたこの1枚』の第2作目に…と考えたわけですが。。。
なぜ評価されないか、というと、実はこの録音、フランス語版なんです(笑)
だから古のパリの香りを伝える、ということにもなるわけですが(笑)
もちろんレハールはヴィーンのオペレッタ作曲家であり、オリジナルはドイツ語。
この時点で、このアルバムが日本で評価される可能性は、ほぼ消えたのではないでしょうか(笑)つまり、いわば、邪道、というわけですね;)

…しかし、こちらも負けじとパラテクストから強弁するなら(笑)
そもそもオペレッタというジャンルは、オッフェンバックがパリで起こしたものといわれ、
ヴィーンのオペレッタ、最大の作曲家・ヨハン・シュトラウスII、所謂ワルツ王に、このジャンルに手を染めるよう薦めたのもオフェンバックだった、というお話は、
クラシック・ファンならもう感覚的には100万回くらい聞いたことがある感じでしょうが(笑)
La Chauve-Souris C Kleiber最も有名な『こうもり』にも、パリへのリファランスはふんだんに盛り込まれていますし、その息子シュトラウスに次ぐ大オペレッタ作曲家・レハールの本作『メリー・ウィドウ』にも、同じくパリへの憧憬はしっかりと受け継がれていますよね…。
そういうわけで、パリの香りをたっぷりと伝える、フランス語で聴く『メリー・ウィドウ』、というのは一概に邪道、というわけでもないのではないでしょうか;)

個人的には、これまでドイツ語で聴いてきていたものが、フランス語版で聴くと、突如、ことばに聞こえだし(笑)意味が自然に頭に入って来るところも面白かったです;)
特に僕がパリに住み始めた当時、民放のクラシック局では「メリー・ウィドウ」といえば、普通にこのテイクを流していました。
オペラの原語上演はそもそも多民族・多言語の移民国家・アメリカをのぞき、全世界的に当然と考えられるようになったのは、そう昔のことではない、ともいわれていますね。

退嬰的な大人の恋模様を活写して(笑)子どもの頃初めて聴いた時から、ある意味僕の心を打ち抜いた『メリー・ウィドウ』;)中でもパリで出会ったこの1枚は、僕としてはもはや絶対に外すことのできない録音、なのですが、
僕と同様の『メリー・ウィドウ』ファン(笑)のため、さらにもう少しこの録音について説明しておくと、
ミュージカルの一歩手前的な形態のオペレッタでは音楽の間の、歌の付かない普通のお芝居にも大きなウェイトがありますが、
studer bonney die lustige witweフランス語版では話の設定や役柄名、地名なども少し変わり、
例えばヒロイン・ハンナはミシアに、ヴァランシエンヌはナディア、ということになっているようです。
ほかにも日本で有名な録音のヴァージョンとはやや違う点、省略などもあるので、僕と同様の『メリー・ウィドウ』ファンにとっては、当初やや引っかかる点は、ほかにもある、と思います。

とにかく一聴耳を奪うのが、このヒロイン・ミシアを歌うミシェリヌ・ダクスの歌声、だと思いますが、
オペラ歌手、というよりも、むしろ古い銀幕のスター、マルレーヌ・ディートリとか、あるいはエディット・ピアフなんかを連想させるものではないでしょうか。
一度聴けばもう、忘れがたい印象を残す歌声ですね。。
パラテクスト情報をさらに加えておくならば(笑)
どうやら専業のオペラ歌手ではなく、むしろ演劇人のようですが、フランス人、
フランスの伝統的な演劇教育では、歌のトレーニングは必須、です。
楽しいくらい思い切りアメリカン・アクセントのフランス語を喋っていますが(笑)
このあたりも、フランス語版の設定に従う演技、のようです;)
= 追記 =
ただし、母音を二重母音的にして歌うのは、むしろフランスの歌の伝統の中にも最近まであったもののようで、このあたりも*旧き佳きパリ。。*という印象をこの録音が与える一因になっている、ということなのでしょう。。;)

というわけで、ともあれまずはぜひ一度、ご自分の耳で聴いてみて下さい!
日本のクラシック・ファンにとって、もしこれが邪道、であるならば、
たいへん勿体ない邪道ではないか、と思いますよ:)

La veuve joyeuse : Micheline Dax, Michel Dens, et al. – Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire(パリ音楽院管弦楽団) Yvon Leenart(指揮)- パリ、1967年録音

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