坂道を下りながら、ある女の子が、僕にこういった:イスラエルと日本は似てると思う。どちらも自分たち独自のバブルの中にいて、特殊な独自の世界認識を持っている、と…。
ソーシャル・メディア、twitter、fb、tumblrブログには思いつけば書いてるものの、このメインの公式HP(yuichihiranaka.com)に、
所謂 opinion pieceめいたものをさすがに思わず書いてしまったのは、最後に2015年13日11月のパリ、テロ後のことだったと思うが(13 novembreに寄せて〜フランスの《建前力》)
今回もふと、新年に寄せて、そろそろと、こんなことを書き出そうとしてしまったのは、
米Atlantic誌のこの記事を目にしたあたりから、かもしれない:現トランプ米政権と、イラク戦争前のブッシュ政権の議論が不気味なほど似ている、というもの。
もちろんこれはただ単に、戦争に向かおうとする現代の政権は、似たような議論の持って行き方をするというだけの話であって、なにもこれから必ず同様に戦争を起こす、開戦前夜である、とは限らないかもしれない。
イラク戦争といえば、印象に残るのは、9/11以降、僕は日本で毎晩熱心にFox & Friendsを見ており、…そういえば、幾度も在日米共和党の集会への招待状をもらったくらいだった。。:p
遂にアフガニスタンへのstrike backが敢行され、高揚する空気の中で、しかし、
“次は、イラクか!?”
というタイトルが番組画面いっぱいにぶち抜かれて出てきた時の、??????というような、いくつ?があっても足りないような、??????な感覚だ。
いまにしてみれば、昨今の所謂“北朝鮮危機”と比べると、米メイン・ランドへの攻撃の可能性のまったくなかった当時の“イラク危機”は、はるかに抽象的、だったといえるだろう。
9/11の衝撃に、アフガンまではうーむ。。と僕も事態を眺めていたが、
イラクへの攻撃、などというのはまさにトンチンカン、到底現実とも思えなかった。
…そしてその戦争を実際に始めてしまったのがまさにアメリカだった、ということは、やはり念頭に置いておいてたほうがいいかもしれない。
大量破壊兵器はない、といい続けたフセインのイラクに対し、当時、大量破壊兵器がある、といい続けていたのが北朝鮮。それを軽ーく無視し、いや、イラクのほうが怪しい気がする。。で攻め込んだわけで、さすがにこれではゴマメも歯ぎしりしよう(笑)石油も取れない寒村のような国に、要はだれも攻め込んだりしないんだな、、などと思ったものだが、結局北朝鮮を放置し、状況を現在ここまでこじれさせてしまったのも、だからだろう…。
それに比べれば、今回の“北朝鮮危機”は、はるかに深刻である、と見えるかもしれない。
が、これまでのところ、アメリカは大量に兵器を売り、日本は保守党が大勝利し、北朝鮮にとっては“アメリカの脅威”を事実化し軍拡に国力を注ぐことに正当性を与えているわけで、
この三政権から見れば、完全にウイン・ウインのいい構造になっている。いつまでも、このバブルの中にいたい感じ、かもしれない;)
ふつうに考えれば、北朝鮮政権の目的が国体の維持である以上、誤って以外、人口密集地にミサイルを先制攻撃として落とす可能性はない。
新年に入って、オリンピックをテコにアメリカを蚊帳の外に追いやり南北の二国間交渉に持ち込んだところなどをみても、狂気どころか、よく考えている節もあり。。そもそも国際社会から孤立してるのは、国際社会、国際社会いってる日本政府と、アメリカだった節もある。
国際社会から孤立しているのはどちらなのか?
(そもそも“北朝鮮危機”とは?)
September 30, 2017 〜 平中悠一fbページ ポスト。
トランプにしたところで、戦争になればまず数十万人の韓国人が確実に死ぬ、という話は念を押されているのだから、よほど大統領の座が危ういとでも思わない限り、そんな暴挙を犯す度量はない(笑)
…それどころか、WSJのインタヴューで、案の定、「金正恩とは非常にいい関係になる」とまでいっていた;p
だいたい一度核武装した国が、核兵器を廃棄をするということはこれまで起こった試しもなく、現代においてはそんなことに実現性などまったくないのは周知の事実。ただ、この“北朝鮮危機”も、現実になることはない、しかしリアリテイのある危機のまま、できるだけ長く続いたほうが、日本国民・有権者の統治は容易いわけで、それには粘り強く交渉をするなどとして、事態を引き延ばしていくのがいちばんだろう。。
要するに、一歩外から眺めれば、そういう図式にも見えるのだが、その中にいて、
上空をミサイルが飛び交う、この国を守るにはー!!といった少年マンガのパロディのような広告を代理店にガンガンやられたら、浮き足立ってしまうのもふつうの心理。
「だいたいこんな危険な状況で、軍備を拡大するのは当然っていうか、*ふつう*っていうか、しないほうがおかしいでしょ?
そもそも自分の国を、人に守ってもらおう、っていうほうが*ヘン*なんだよ。。」
…というわけで、すらりと憲法も改正、戦争も辞さず、という話になる。
こうなると、僕と同じように、平和を愛する人の中には、
えーっと、こりゃ、一体どこから説明したらいいのかね。。と、頭を抱え、
自分の身近な人たちすら説得できないと、辛い思いをしている人もいるのではないだろうか。
そこで確認しておきたいのは、まず、人間って*ヘン*なもんなんだよ、ってこと。
ばかっぽく聞こえるかもしれないが(笑)
*ヘン*なことをするのが人間なんだよ。だから人間なんだよ、と。
そもそも毎日服を着て、9時から5時まで会社に行って、給料なるものを貰い、それで食べ物を買ったり家賃を払ったり、携帯代を払ったり、Bitcoinを買ったりする。
そんな*ヘン*なことをしている動物は、他にはいない(笑)
ここで*ヘン*というのは、いいかえれば、つまり、文化、文明のことでもある…。
しかしこういっても、まだ、
いやいや、服を着て会社に行って給料をもらって共通ポイントを貯めて積立NISAを始めるのはふつうだけど、
自分の国を人に守ってもらおう、っていうのは*ヘン*なんだよ、だって、そんなことしてる人は他にいないもん。。
と思う人もいるかもしれない。
憲法改正についての基本的な考え方は、まずこちらのfbポストx2をご覧ください: May 3, 2016 ; October 24, 2017
〜 平中悠一fbページ
では視点を変えて、外のことを眺めてみたら、どうか。
例えばアメリカの銃規制。
銃の所持率がそのまま銃犯罪の発生率につながる、とはいえないにしても、
外から見れば、いくら何でもしかしここまで銃による死者が多ければ、もう少し何らかの規制をするのがふつうじゃないか、と思うだろう。
ところが、中から見たら、それはふつうではない。つまり、*ヘン*だ(笑)
もちろんアメリカの憲法修正第2条に記された武器を所持する権利、というのは、例えばアメリカに軍事独裁政権が誕生しようとした場合、それと戦う市民の権利を守る、というようなことでもある。
しかしそういう仮定的な状況ではなく、実際には、トランプのいう通り、銃を持っている悪者と戦えるのは、銃を持っている良い者だけだ…というようなレヴェルでこの権利を考えるのが*ふつう*で、
その*ふつう*の考えが、この条項を守っている。
銃による大量殺人が起こるたび、アメリカでは銃の売り上げが跳ね上がる、というが、
現に銃を持っている悪者がいる以上、銃を持って身を守ろうとするのは当然のこと、
丸腰でいるほうがヘンなんだよ、ということになる。
そして外から見れば、ヘンなのは明らかに、アメリカの*ふつう*のほう、だ。
こうしてみると、イスラエル、日本、北朝鮮だけでなく、NRAもトランプ支持者も、同じように自分たちだけの特殊なバブルの中にいるわけだ。
日本の銃規制は先進国では特に厳しいし、そこには日本独自の歴史、経緯というものもあるだろう。しかし日本人から見れば、銃を持たないのはふつうだし、武器を持たずに街を歩けるのは当たり前のことだ。
つまり、日本やフランスの一般の市民は、犯罪者や殺人者やテロリストのいる街で暮らしながら、
自分たちの安全を、基本的には、警察などの第三者に任せている。
それとこれとは話が違う…と慌てずに、日本やフランスの市民生活のレヴェルでは、それが当たり前だということだけ、確認しておこう。
そしてその*当たり前*には、必ず*はじまり*がある。
アメリカの銃規制の例に戻れば、悪者が銃を持っている現実がある以上、自分たちも銃を持つしかない、といっている限り、その*ふつう*から逃れることはできない。
9/11後、長く続いた重苦しい空気の中で、初めてまともなことをいっている人がいる…と僕が驚いたのは、もう1年以上たった頃だろうか、BBCに出たノーム・チョムスキーだった。
動くチョムスキーを見たのは初めてで、同姓同名の人物がいるんだ、と思ってしまい、その後それがまさに生成文法のノーム・チョムスキー本人だったと気づいて二度驚いた(笑)
アフガン侵攻をはっきり否定し、曰く、
この辺りに悪者がいると思うからといって自分で勝手に攻撃するのは間違っている、それはリンチだ、文明社会であれば、法に基づき司法がまず判断し、制裁するならそれは警察の役割だ。
そう丹念に、粘り強く、くり返していた。
チョムスキーまとめ
〜 公式tumblrブログ “a perfect day for gingham check” ポスト
いうまでもなく、法に基づいて、第三者機関が裁き、処罰する、というこの先進国の市民社会では当然のことが、
国際社会においてはまだ実現されていない:いってみれば、国際社会はまだ、wild wild west、野蛮な無法地帯、ということもできる。
だからいくらチョムスキーのように主張しても、現実問題、いま現在、実現不可能なこと、かもしれない。
…このあたり、明らかに現在まったく実現可能性のない、外交と経済制裁による朝鮮半島の非核化が、あたかも実現できるかのように主張し続ける、日本政府の精神力というか面の皮の厚さには(笑)見習うべきは大、かもしれない。
いま現在、現実にできないからといって、それが間違っているわけでも、おかしいわけでもない。
それとこれとはべつの話で、そういうふうに、ミソとクソを一緒にしてはいけない(笑)
…フランス語でならこれを、もう少しキレイに(笑)pas d’amalgame ! パ・ダマルガム!という、クリアで判り易い、慣用的な表現もあるのだが。。;)
チョムスキーのように、静かに、粘り強く、
いますぐ現実にならないから無駄だと思うのではなく、
おかしいものはおかしいと、間違っているものは間違っていると、きっぱりいい続ける。
それが、いまの*ヘン*や*ふつう*を乗り越えて、
もっと本質的な、よりよく、より間違っていないことが、新しい*当たり前*となってゆく、*はじめの一歩*だ。
ならず者国家やテロ集団の現に存在する国際社会の中で、自衛のための武力を持たないのは確かに*ヘン*かもしれない。
しかしそこで負けじと軍拡をやって、それを*ふつう*というのでは、いつまでも銃規制のできないアメリカと同じことになる。
世の中から人殺しがなくならないように、国際社会から戦争のなくなる日は来ないかもしれない。つまり、それは*ふつう*のことかもしれない。
でも人間が*ヘン*なものなのだ、ということを忘れてはいけない。
*ふつう*を*ふつう*として受け入れず、間違っているといって変えていく。そういう力が、人にはある。
おかしい、間違っている、と口でいうのは簡単だけど、じゃあ変えていくためには具体的にどうすればいいのか。どうすればいいか判らないのに、ただおかしいといい続けるのは、無責任じゃないか。そう思う人もいるかもしれない。
だが、そのために、現代の市民は政治家や役人を雇っている。
政治家や役人が高給をもらって安心して生活し、尊敬されているのは、何も彼らが学校の試験が得意だったからでも、人一倍努力をしたことへの当然の褒美でもない。こういう一般の人にはどうしていいか判らない、難しい問題を、代わりに考えて解決する、そういう力のある人たちだ、と考えているからだ。
彼らが国際問題や外交問題を解決することを仕事にしている、プロフェッショナルであることはいうまでもない。
プロ、というものは、ピアニストでも、小説家でもいいが、
例えば「ラヴェルは素晴らしかったけど、シューマンはどうもしっくりきませんでした」といわれ、
「じゃあお前が弾いてみろ、弾けないくせに、文句をいうな」などとは決していわない;
「前回の長篇は面白かったけど、今回の長篇は納得できませんでした」といわれ、
「じゃあ、お前が書いてみろ、書けないくせに、文句をいうな」などとは決していわない。
それが、プロだ。一般の人には到底できない、高度な仕事をしているという認識を持っているからだ。
それは政治家にしろ役人にしろ、同じこと。
早い話、一般の人にどうすればいいか判るくらいなら、彼らの仕事はないわけで、
文句があるなら、どうすればいいかいえ、というのは、文字通りの自己否定、だろう。
…ラヴェルといえば、昨年末、わりと印象に残ったのが、コロリオフのソナティヌ。ラヴェルとドビュッシーだったら、ドビュッシーのほうが好きかな…という方にお薦めしてみたいラヴェル、かも;)
では、そのプロフェッショナルである彼らが、
いや、これ以外に道はない、これが最善の策なのだ、と、例えば軍拡を進めようとした場合はどうだろうか。
もちろんその時も、そんなことで納得する必要はない。
「いや、シューマンっていうのは、こういう音楽なんですよ」
「いや、面白い小説、っていうのは、こういうものなんですよ」
そういくらいわれても、弾けてないシューマンは弾けてないないんだし、面白くない小説は面白くない。
プロにももちろん限界はあるから、無礼なことをいうのは無礼だが、
しかし納得のいかないものを、納得する必要だってない。
おかしいと思うことは、おかしいといい続ければ、それでいい。
その*はじめの一歩*から、いつか全ては変わっていく。
少なくとも、全てには、その*はじめの一歩*があったはず:
殺人者が絶えない街を武器を持たずに歩けるように、
戦争のなくならない国際社会で各国が軍事力競争をしなくてもいい日が、やって来る、
それが*ふつう*にならないと、誰にいうことができるだろう。
考えてみれば、貨幣に価値があるのも、税金を払うのも、法律を守るのも、
*ヘン*なこと、最初から*ふつう*で自然なことではなかったはず。
要は同じで、そんな*ヘン*なことが現在*当たり前*になっているのは文化、文明によるもので、
そこには社会システムに対する信頼があるから、だ。
おかしいことはおかしいと、違うと思うことは違うと思うと、諦めないで、いい続ける。
みんなでいい続けよう、とは僕はいわない。
みんなは、自分一人から始まるのだから。
一人一人が集まって、初めてみんなになるのだから。
だから、一人でも、自分だけでも、いい続ける。
まったく小さく、無駄に見えたとしても。
それがほんとの、*はじめの一歩*だ。
=関連ポスト=
こちらの公式HP、yuichihiranaka.comには少ないですが、
他にも*反戦・平和*の立場から書いたコンテンツは、塵も積もれば山となる、で、ソーシャル・メディアなどにはもはや、かなりあるようにも思います。本当は、twitterにいちばん多いはずですが、
多少なりともよりまとまったところでいくと、
平和憲法に対する僕の考えは、古いものですがまずこちらを:
“The writing on the wall.”
〜 公式tumblrブログ “a perfect day for gingham check”
今回の、憲法改正の本質的な問題は、FBポスト:
May 3, 2016 ;
さらに、October 24, 2017
また、憲法、護憲に関連しては、こちらも読んでみてください:
パリより:70年目の夏に。〜日当りのいい“女の子の学校”
所謂“北朝鮮危機”に関する見解は、どうぞこちらをご覧ください:
そもそも“北朝鮮危機”とは? 国際社会から孤立しているのはどちらなのか?
最後に、いわずもがなのこととは思いますが、日本の核武装が愚の骨頂である理由はこちら : アメリカと北朝鮮が、西部劇のガンマンよろしく、互いに拳銃を向け睨み合っている、とします…
*この記事は面白かったですか? ソーシャルメディアでも更新をフォローして下さい。
Follow @yuichihiranaka on Twitter
…ソーシャルメディアは使っていませんか? こちらから直接このサイトをフォローできます(更新をメールでお知らせします)。
…あの夏、ベルリン。。 2014年、ベルリン。文学、そして旅の記憶のラビリンス…。 ようこそ、旅行記と文学論の、ナラティヴな“街の迷路”へ。 平中悠一:『ベルリン日和』 作品についてのコメントはこちらへ。 |