モディアノ翻訳計画

少し気が早いですが…モディアノ作品をもし次に訳すとしたら、という視点からの、モディアノ旧作レヴューです;)

恐ろしく高度で、瀟洒。洗練の極致を示す、夢、または寓話。ため息。

modiano20142014年ノーベル文学賞受賞にともない、モディアノ最新刊 Pour que tu ne te perdes pas dans le quartier が関係者に配布されており、僕も読んでみました。
まず、モディアノ文学がまた新たなレヴェルに到達した、ということがいえると思います。非常に完成度の高かった『失われた時のカフェで』に続いた、L’horizon (2010)、L’herbe des nuits (2012)この2作はやはりやや実験的で、跳躍への準備でもあった、ということが回顧的には判ります。
日本語に訳す、というようなことさえ考えなければ(笑)、それこそフランス人読者であれば、だいじに読んで二晩、というところでしょうか。再び三人称を採用したこともあり、とくに前半はまたがくんとリーダビリティが上がっている、いつものミステリ・タッチが、殆んどほんとのミステリ小説のよう(笑)
より客観的で、ゆえに非常に読みやすい、というしかない、見事な仕上がりになっています。
後半に至って遂に 続きを読む

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モディアノ翻訳計画*Vestiaire de l’enfance〜評価を決定づけた未訳の傑作。

さて、こちらの連載『モディアノ翻訳計画』も、いよいよ佳境に…!?(笑)ということで、日本ではなぜかまったく翻訳されていない、モディアノ、中期の傑作を見てみたい、と思います;)

パトリック・モディアノ…確かにLa place de l’étoile は峻烈なデビュー作だし、フランスを代表する新人文学賞・ゴンクール賞に輝いたRue des boutiques obscures は重要な作品でしょう。邦訳のあるこの後者は日本でもモディアノ・ファンにはとくによく読まれている作品だろうと思います。
『失われた時のカフェで』併録「『失われた時のカフェで』とパトリック・モディアノの世界」でもご紹介したとおり、韓国ドラマ『冬のソナタ』との関連もありますし…;)
しかし、フランスでモディアノの代表作、といえばむしろ90年前後の長篇小説、モディアノが所謂『注目の新鋭』から押しも押されもせぬ重要な作家へ…と移り変わったこのVestiaire de l’enfance そしてそれにつづくVoyage de noces…このあたりがやはり真っ先に挙げられるところ、いちばん定評のある作品ではないか、と思います。今回ご紹介/検討してみたいのは、その問題の日本未訳の傑作、Vestiaire de l’enfance です;) 続きを読む

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モディアノ翻訳計画・番外篇*L’Horizon〜ほんとうの悲しみと幸福を知る、大人のための“ファンタジー”

パトリック・モディアノパトリック・モディアノ紹介ページMODIANO Japonを開設し、当然本国最新刊L’Horizonを紹介しなくては…と表紙を掲載しましたので、モディアノ翻訳計画・番外篇としてこの作品もレヴューしておきます;)

…前置きになりますが、“番外篇”、というのは(前置きの終わり、作品のレヴュー自体はこのあたりから始まりますのでよろしくお願いします;)
2010年春、この作品が出版された時点で、既に『失われた時のカフェで』初訳が相当進んでいた、ということもあったのですが、書店店頭でぱらぱらとページをめくっただけで、《あ、ダメだ。この作品は、訳せない。。。》と思ったからです(笑)

まず、『失われた時のカフェで』(以下、主に『時カフェ』と略。c.f.=>)と同じ、精巧な時間性、テンポラリテの問題があります。 続きを読む

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モディアノ翻訳計画*Des inconnues『見知らぬ彼女たち』

さて、お待たせしました、『モディアノ翻訳計画』;)次に見てみたいのは、1999年の作品集、Des inconnues です。

パトリック・モディアノ今回の新刊『失われた時のカフェで』を僕が訳してみよう!と遂に決意したにあたっては、そういうわけで、さまざまな理由があったのですが(笑)そのうちのひとつが、ヒロイン・ルキのナラション(語り)の魅力、でした。

僕は小説家としてのキャリアは既に比較的長いわりに、なにしろ非常に慎重ですので(笑)まだまだトライしていないことがたくさんあります。女性の、所謂“一人称のナラション”も然り、です;)——日本語の場合は今日もなお“女ことば”というものもあって、これは日常的に自分ではまったく使わないランガージュですから、これを作品のナラションの中心にする、というのは当然なかなかチャレンジングなわけです。(しかし、僕は最初から所謂“標準語”で小説を書いていますから、自分の日常的なことば遣いと小説のランガージュを最初から意図的に分離してきた、ともいえるのですが。。。;) 続きを読む

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