ベストバイ・ミュンシュ指揮ベルリオーズ『幻想交響曲』

やってしまいました。「昨年のドビュッシーはギリギリ滑り込みになったので、今年のベルリオーズはもっと早くに。。」と思っていたのに、結局2019年、ベルリオーズ没後150周年アニヴァーサリー・イヤーに間に合うどころか、2020年ベートーヴェン・イヤーに雪崩れ込んでしまいました。。関係各部署の皆様に深くお詫び申し上げるとともに、今後このようなことが二度と起こらないよう…などという*定型文*の誠心誠意を要求する関係各部署など、とはいえ存在しないとは存じますが。。(笑)

ともかく、昨年のアニヴァーサリーに僕がやろうとしていたことは、表題の通り、ベルリオーズ(1803 – 1869)全作品中もっともポピュラーな『幻想交響曲 op. 14』(1830)の膨大な数の録音の中でも、定番中の定番とされる、シャルル・ミュンシュ(1891 – 1968)指揮のタイトルから、ベスト・バイを選ぼう、というもの;)
この試みの面白さ、意味、真正面さ、難しさ…などはクラシック・レコード(=録音)ファンには、あるいは説明の必要もないでしょうが(笑)しかし、多数派の(というとややいい意味となり、*大多数*というとやや悪い印象になるとするなら、こはいかに?w)皆さんのために多言を弄すれば(笑)
まず、ミュンシュの『幻想』は大定番、とされる一方、やたら録音が多い。どこへ行ってもとりあえず名刺がわりにこのタイトルを録音してたんじゃないか。。といいたい気持ちもよく判る、くらい;)
*大定番*と呼ばれる中にも、既に最低3、4タイトルは挙げざるを得ない。その中の、一体どれがベストバイなのか、というのは、パラノイアックなクラシック・レコード・ファンなら誰しもごく一般的に(笑)一度は考えていそうなところ;)

逆に個人的な問題意識としては、そのミュンシュの『幻想』が、どうしてそれほどネコにも杓子にもw 名演と呼ばれるのか。。長い間、どうも理解できなかった、ということがまずあり、
次に僕が子どもの頃、初めて自分で買ったクラシックのLPレコードが(笑)なんと!よりにもよって(of all records・笑)実にこの『幻想交響曲』だった…という衝撃の(?)個人史上の事実も、何を隠そう(なぜ隠そう?)ここにはある。。
加えるに、この際併せて書いておこうか。。と思ったことが、さらに2点:
その一は、クラシックのフランス音楽のレコードを批評する際、昔から始終使われている、*フランス的*という評価。それって一体なんなのか。一体何のことをいっているのか…いや、そもそもいおうとしてるのか、判っていっているものなのか??
もっといえば、フランス的、とかテキトーに、もっともらしいから、かっこいいとか思っていってるんじゃもしないなら、それは具体的になんなのか、いわなかったら/いえなかったら、ダメでしょ、それ!!みたいな(笑)
この辺り、今後二度とデタラメなことなどいわせないよう、ちゃんと問題意識を突きつけておきたい、というか(笑);
いまひとつは、その返す刀で(笑)僕自身も、このレコードはいいとか悪いとか、なんの定義もなく(つまりそのよし・悪しについての、ね)いってるがそれだって、それでは結局デタラメ、というか、要するに、それでは誰にも反証できない(だって他人には基準が判らないわけですから!!・笑 それを、つまり「反証できない=反証可能性がない」ことを、日常のことばで*デタラメ*といってるわけです。…フランス語なら、*オカルト*ともいいますが;)
ある録音、演奏、音楽を僕が選ぶ時の基準というか、傾向、好みについて、この際、自分に問いただす意味でも、どの程度できるかは不明だが、一応、書こうとしておきたい…
就中今回の『幻想』ミュンシュ盤のような場合、ある種、いずれアヤメかカキツバタ。とりわけこの個人的な基準、偏りが最終的な決め手になるし、この点について自省する、実によい機会ではないか…と思った、ということもあり。。

なお、文体としては、既にここまでに見られたとおり;)
パリ転居前後から、僕がネットにポストする文章で追求している一見バラバラで脈絡のない謎の展開に、
フランス語の翻訳をはじめて以降考え始めた、フランス語には歴然とあるかに思える、
コミュニケーション文と非コミュニケーション文の交代が、日本語文でも実現できないか。。
そのあたりの問題意識に従って、アグレッシヴに試行錯誤していくことになろう、 と思います;)

1 Petite madeleine…

さて、ベルリオーズ作『幻想交響曲』。まず個人的な記憶、思い出についてから記述するなら。。
これが僕のディスク個人購入、最初の1枚となったのは、まぁ、まったくの偶然で、
DG(グラモフォン)がカラヤン/ベルリン・フィルのベートヴェン交響曲全集、二度目をリリースした後、(2020年現在、直前のベルリン・フィルのシェフであったラトルが、最終的にこのクラシック・レコードの大名門ドイツ・グラモフォンからベートーヴェンの全集をついにリリースできずに退任したことを思えば、この業界もまた、レコード制作に従前のようにお金をかけられず衰退の一途を辿ってることが感じられ、隔世の感がある…)
イエス・キリスト教会での旧録を廉価盤として再発しており、その暗闇の中に浮かび上がる指揮中のカラヤンの横顔のジャケットを友人宅で見て、カッコいーと思った(子どもの感想です)あげく自分でも欲しくなり、小遣い銭を掴んで、さて、ベートーヴェンの何番を買うか? うちには運命はあるし、友だちの持ってたのは田園だし、では英雄を買うか。合唱は、二枚組になり、無理かも判らん。。と緊張の面持ちで*大人の領分*レコード店に進入;)
首尾よくそのカラヤン廉価盤、ベートーヴェンを見つけたまではよかったが、うーむとパタパタ、1枚を選びあぐねていると、そこは小さなレコード店、そのままベルリーズがBだったためか、同カラヤン廉価盤シリーズなのだが、その漆黒に浮かび上がるベートーヴェン1番〜9番のジャケットとは打って変わって、夕景の中、シルエットとなったロマネスク式教会の浮かび上がるジャケットが目についた。
…シンフォニー・ファンタスティック????
なんだかよく判らないが、それまでそんな曲があるとも知らなかったが、そのタイトルと夕闇の情景が、ミョーにまた違ってカッコよく思え、うーん、これはファンタスティックかも。。と、めちゃくちゃ瞬時に悩んだ結果、咄嗟になぜか、そのレコードをレジに持って行ってしまった。
うちに帰って聴いてみると、これが奇想天外、驚天動地な音楽で(笑)同じ交響曲とはいえ、それまで親しんでいたベートーヴェンとかモーツアルトとは全然違う。どっひゃー、みたいに肝をつぶし、まずいものを買ってしまったかー。。と冷や汗一斗、必死に聴いた、僕のレコード史上、それがマイファースト・チョイスであり、マイファースト・ベルリオーズ、だった。。;)

その後結局その音楽は意外と気に入り、ベートーヴェンとは比べられない、別の面白い音楽として、僕の引き出しの中に残った。けれど、中学に入ると、クラシック・マニアの子どもとも知り合い、音楽の友、レコード芸術別冊のレコードガイドなども本屋で見るようになり、そうすると、自分が買ったあのカラヤンのイエス・キリスト教会録音のベルリオーズ『幻想交響曲』などというものは、当時誰もいいレコードなどといってはおらず、
僕のマイファースト・チョイスは、マイファースト失敗チョイスと化してしまった(笑)
カラヤン、ベルリン・フィルのベルリオーズなどというのは、まがい物もいいところであり、
ベルリオーズはフランスの作曲家だからフランスのオーケストラで聴かなくてはダメであり、
フランスの指揮者、特にミュンシュ指揮のものこそが最高である、
ということが判った。
僕は子どもであったので、自分の不明を心から恥じた。
*こういうまがい物を、いいと思うなどとは、なんと自分は愚かであったのだろう。。*
…とはいえ子どもの限られた予算の中では、ほかにも色々聴いてみたい曲があり、
カラヤンBPOのベルリオーズなどダメダメダメなレコードと、深く、立ち直れないまでに深く判ってはいたが(笑)既に持ってるタイトルを重複して買うのはどうしても後回しになり、この1枚は、長い間、僕のなけなしのレコードコレクションの中でも躓きの1枚であり続けた;)
念願かなって*憧れの*大定番、ミュンシュ指揮パリ管弦楽団のベルリオーズ『幻想交響曲』を遂に聴いたのは、ずいぶん後のことになる。。
が、しかし、この話にはオチがあり、この憧れのミュンシュ指揮ベルリオーズ『幻想』が、お墨付きの大定番が、僕にはさっぱり、いいとは思えなかったのである(笑)
もちろん評論家の先生より自分の方が正しい、などと思える子どもは当時、滅多にいなかっただろう。
僕も自分を否定し、個人的に総括、粛清し(笑)
自分は*本物*のよさが判らない、*ニセモノ志向*であり、
自分にはベルリオーズが、*フランス的*な感覚が、理解できないのだ…と諦めた。

その後僕がミュンシュ指揮のベルリオーズ『幻想』に再び巡り合うのは、
フランス、パリに転居した後のことになる。。

2 Retrouvailles à Paris…へ続く)

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