新刊『迷子たちの街』、書店店頭にも既に並んでいるとのことです。関心のある方はどうぞ、いまのうちにご入手ください。
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さて、今回は帯文について、です。
ということですが(笑)
フランス人にも、よく、モディアノはいつも同じ話ばかり書いている、という人がいます。
…前回のフランスからのノーベル文学賞、ル・クレジオ(2008年)についてもそうなのですが、なんでル・クレジオやモディアノがノーベル文学賞なんだ、というようなことをもっともらしくいう自称《文学通》は、たしかにフランスにはいますね;)
けれど僕はまったくそうは思わない(笑)
そんな気持ちもあって、
少し視点を変えると、モディアノ作品というのはほんとに変化に富んでいる、
そのあたりをアンダースコアするかたちを考えた、
その結果が今回の帯、ということなわけです;)
どうしてモディアノはいつも同じ話を書いてるといわれるのか。
それは同じ場所(特にパリ)、同じシチュエーション、同じことばや表現、同じような人物、同じようなエピソード、などが常にくりかえしくりかえし現れるからでしょう。
しかしそのくりかえしを描き出すナラションは、毎回違う。
毎回新しい方法やチャレンジに満ちている。
キャリアや年齢を考えれば、この若々しい、あくなき探求心は驚くばかり、です。
少し理論的なことにも触れると、小説の客観的な分析の方法論として、ナラトロジーが生まれたのは1970年代。
その最初から、基本中の基本として、
小説の、物語内容と、物語表現、そしてナラション、このみっつが定義され、これらを混同することはできない、とされています。
つまり、物語内容というのはお話の内容、筋としてのストーリー、
物語表現とは、その内容がひとつのお話のかたちにまとまったもので、
フランス語ではrécit(レシ)、英語ではnarrative(ナラティヴ)と呼ばれるもの。
(…そもそも文学理論、ナレーション分析の用語でしたが、近年アメリカのニュース報道では*ナラティヴ*ということばは大流行、極めて頻繁に、ほとんど濫用されているという観がありますね;)
そしてそのナラティヴ、ひとつの表現のかたちをとったお話を、具体的に構成している叙述がナラション。
小説分析においては40年以上前から常識のこの分節化に従えば、
モディアノは同じ話ばかりを書いている、という人がいっているのは、ほぼ完全に、そのうち《物語内容》のことだと判ります。
しかし、小説とはひとつの表現であり、その表現を唯一無二のものにしているのは、その叙述、
つまり《ナラション》なのです。
それこそが小説の“命”といってもいいでしょう。
そしてそこに注目するならば、モディアノ作品はいつも同じどころか、毎回毎回、驚くほかない多様性を示している、ということになります。
…もしこれで、↑↑にあげたような《内容》上のくりかえしがなかったとしたらーもしかしたらそれはあまりに実験的過ぎて、ほとんどの読者にはついていけないものになるかもしれません。。(笑)
物語内容を知ることが問題なら、詳細なあらすじ(??笑)を読めばそれでいいでしょう。
しかしそれでは小説作品を読んだことにはなりません。
小説の構造のいわば本体である《ナラション》のすがたを可能な限り日本語でお伝えしたい。
それが僕の翻訳の、究極の目標です。
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鮮烈な印象を残す1作ではないか、と思います。
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さよなら、パリ。本当に愛したただひとりの女…。 『迷子たちの街』 2014年ノーベル文学賞に輝く《記憶の芸術家》パトリック・モディアノ、魂の叫び! 作品についてのコメントはこちら。 |