モディアノ翻訳計画・番外篇*L’Horizon〜ほんとうの悲しみと幸福を知る、大人のための“ファンタジー”

パトリック・モディアノパトリック・モディアノ紹介ページMODIANO Japonを開設し、当然本国最新刊L’Horizonを紹介しなくては…と表紙を掲載しましたので、モディアノ翻訳計画・番外篇としてこの作品もレヴューしておきます;)

…前置きになりますが、“番外篇”、というのは(前置きの終わり、作品のレヴュー自体はこのあたりから始まりますのでよろしくお願いします;)
2010年春、この作品が出版された時点で、既に『失われた時のカフェで』初訳が相当進んでいた、ということもあったのですが、書店店頭でぱらぱらとページをめくっただけで、《あ、ダメだ。この作品は、訳せない。。。》と思ったからです(笑)

まず、『失われた時のカフェで』(以下、主に『時カフェ』と略。c.f.=>)と同じ、精巧な時間性、テンポラリテの問題があります。

…たとえば前半に多く見られる大過去を中心としたナラション、『時カフェ』でも出てきたのですが、大過去から入って複合過去や単純過去に動かれると、日本語でのこの再現は難しい。そういう時制自体はありませんから。逆の動きならまだなんとかなるのですが。
『時カフェ』にもこの形は出てきますが、短いシークェンスで、かろうじて日本語で表現することができた部分もありました。

また同じく『時カフェ』訳出で相当悩んだ所謂“ナラションの現在形”。『時カフェ』では、結局ど根性で(笑)そのまま、どーんと現在形に措いてしまいましたが、結果的にあの作品のなかでは、日本語としての違和感よりも原文と似た印象を与える効果を生むことができたのではないか、と思います。
(最終章に出てきますね…;)
しかしL’Horizonの場合、この手が上手くいくかどうか…。

そしてそれよりもなによりも、ぱっと見て《あ、ダメだ。。。》と思った理由は、この作品、所謂『三人称』の小説(c.f.=>)だから、です(笑)

そもそも僕は、これまで主に所謂『一人称』の小説を書いてきました。『一人称』なら、多少日本語では表現しにくい原文であっても、これまで自分が自分の日本語の小説で培ってきたテクニックや経験にもとづいて、訳文から原文と似た効果を引き出すいろいろな微調整ができます。しかし『三人称』となると、僕の中にそういう引き出しがない、日本語の語法自体から考えていかないとならないわけです。

そういう個人的な問題を横へ置くとしても、具体的にたとえば、例の自由間接話法の問題があります。

「えー、自由間接話法については、独自の訳出法を編み出したんじゃなかったの?」

と、『失われた時のカフェで』併録の解説「『失われた時のカフェで』とパトリック・モディアノの世界」まで読んで下さった方は怪訝に思うかもしれません。
…うーん、そこなんです(笑)

直接話法・間接話法・自由間接話法は、それぞれ登場人物のことばを伝えることができる話法です。僕が『時カフェ』の自由間接話法の訳出で試みたのは、この部分です。
しかし同様に、自由間接話法では—そして直接話法・間接話法と同じかたちでも—登場人物の意識や主観、考えや内声を伝えることができます。
さて、所謂『一人称』の小説では、これらの話法で伝えられる主観はだれのものか、といえば、原則として、話者の主観です。そしてそれが話者のものであれば、主観や内声であっても、ことば・発話であっても、翻訳にあまり頭をひねる必要はない、と僕は思います。
しかし所謂『三人称』の小説では、原理的には、あらゆる人物の主観や内声が伝えられるということになります。とくにそれが自由間接話法だった場合、一体これをどう処理するのか。直接話法的に訳してしまうのか。所謂地の文と同じにしてしまうのか。あるいは直接話法と所謂地の文のあいだのどこかで、テキトーにいい感じに訳してしまうのか(笑)それとも、ここにも何か新しい道、第四の道が見出されるのか…。なかなか悩ましいものがあります。

(自由間接話法については、「『失われた時のカフェで』とパトリック・モディアノの世界」でも十分に説明ができませんでしたので、もしこのあたりの説明をもっと読んでみたい、という方がいらっしゃるようでしたら、こちらのHPでまたそういう記事を書かなくては…と思っているのですが。。。如何でしょうか?;)

    追記:結局記事を執筆しました。大作(笑)ですので、どうぞじっくりお楽しみ下さい!=> 自由間接話法とは何か

ところが、一モディアノ読者の視点から見れば(さて、このあたりからがいよいよ本題、作品自体のレヴューです;)
「やや!この作品はぜひ読まねば…」と思う理由もまさにここ、この作品では、モディアノが全面的に所謂『三人称』のナラションを採用している!ということでしょう;)

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