『新刊『失われた時のカフェで』、アマゾンでの発送が開始された模様です。http://bit.ly/guzTzK 全般的なコメント・ページはこちらですが、とくにこの作品についてのコメントはこちらの↓↓コメント欄↓↓にもお寄せ下さい。(メールアドレスを登録して、ログインしてください。非公開希望の方はWhisperをチェック、To yuichihiranaka として下さい)
…ほんとうに久々の新刊となりました。爽やかな初夏の光と風に包まれて、原著者・モディアノ氏の至芸と、僕の苦心惨憺を(笑)リラックスして楽しんでください;) これはいいぞ、フルマーク!!と思われた方は、アマゾンのレヴューもぜひお願いいたします。http://bit.ly/guzTzK 』
平中悠一最新刊 『失われた時のカフェで』リリース! |
とってもおハズカシながら、
「失われた時のカフェで」
読了直後にちょっと書かせていただきました・・・。
http://ameblo.jp/jd-maris/entry-10890543581.html
こちらはほんとにおバカさん丸出しで(照)なのですが、
このご本を!
ステキな方への!
お中元にしたことは、
ちょっと誇れます☆
micahさんの読後感想ですと、まるで、この作品空蝉のようですね。
以前、パリを出かけたおり、パリの事情なのか、パリ7区、8区といったパリのバカンス時期人々がはなれてしまった後の街の空虚さ、街にたたずむ観光客も相手にするような本屋をかねた雑貨屋の主人(ついでに秘境探検というのもお仕事かもしれませんが)、異国からの観光客であふれるムフタール通りを相手にしなければならないエールフランス航空の空港送迎といった情景が関心を呼んでいました。そのためか、作家モディアノがこの作品で好んで描いている情景を彷彿とさせ、興味深いと思います。
でも、ガリマール社業書の全作品読破まではまだまだ、道のりが遠いかもしれません。
併録解説「『失われた時のカフェで』とパトリック・モディアノの世界」にも書いたモディアノの《矛盾した》魅力。たとえばミニマルでありながら豊か、というのもそうですが、この作品、パリのガイドブックとしても読めるのではないか、というほどこの街のさまざまなカルティエ、エリアを生き生きと描き、パリ好きにはたまらない魅力があります。 けれど、パリに行ったことがない、これまで興味がなかった、という人も、この作品を読めばふと、パリに行ってみたくなるかもしれません…;)
またモディアノ作品は、読めば読むほど各作品を通じて浮かび上がって来る大きな《迷宮》的魅力に引き込まれるのですが、一作一作を個別に読んでも楽しめる。。。
そういう意味で、パリ好きはもちろん、そうでない人にも楽しめる、モディアノをたくさん読んでいる人にもそうでない人にも楽しめる…。もちろんパリに出かけてみたり、モディアノの作品をどんどん読んでいけば、さらに面白くなってくる。。。一見ミニマル、シンプルなモディアノ作品ですが、じつはこれは非常に奥行きが深いといいますか、どんどんどんどん面白さの深まっていく、読めば読むほど得るものも大きくなっていく、長い付き合いのできる作家・作品世界ではないか、と思います。
そのまず入り口として、『失われた時のカフェで』、ぜひ読んでみて下さい!:)
[本作品を未読の方で「作品の結末を知りたくない!」という方はこちらから次のコメントへジャンプ↓↓]
これは、独りの女性ルキについての物語。
彼女について4人の人物が語る。
繰り返し現れるいくつかのイメージ。
記憶や思い出というのは、繰り返されるたびに新しい意味が付されていく。
語り部が変わるたびに新しい物語に変容していく。
この本の中で語られる記憶や思い出も、気づきや寂しさを時々たぐりよせながら、語り部や読者の中で、新しい意味を持ち変容する。なぜなら、繰り返されるたびに今まで心の奥に埋れていたルキについての気づきが表層意識に現れるからだ。
それそのものは、とりたてて大げさに感じないかもしれない。むしろ、やわらかく、些細で、甘く、静かで、しかし胸が痛むことなのだと思う。
だが、「かつてのルキ」を通して、「今とこれから」の自分自身を見据えることになるのだろう。
ルキについて思い出し、語られる時間。
それは語り部にも読者にも、自分の中の何かを変容するための時間。虫が蝶になるまえの「さなぎ」である時間。
ルキは最後、「そう、それでいい、楽に、行こう」と言って、部屋着のままバルコニーを超えて、行ってしまった。
この本1冊を通して、彼女についての語りを聴き終えた後、私自身は何を見て、どこへ行くのだろう。
ただ確かなのは、ルキという女性と共にいたことで、これからに向かう何かを得たということだ。それが甘く、寂しく、痛みを伴うとしても。
コメント、ありがとうございます。
たしかに作品におけるナラティヴな記憶の構築と、読者の中での記憶の構築、このふたつの関わりというのがこの作品、さらにはモディアノ作品全般に共通の、非常に興味深い部分だと思います。このふたつの記憶の構築が、《物語の時間》となりその《時間》を作品とともに共有することで読書は《経験》となり、作品は読者と不可分のものになる…などということも考えさせられました;)
(…なお、僕はこういうことはまったく気にならないのですが、インターネットを見ていると、結末が判ってしまうと作品を読む気がなくなる、という方は意外と多いようですね(笑)僕としては、もちろんこの新刊をひとりでも多くの方にご購入いただきたいわけですから、ここは、念には念を入れ(笑)この本をまだ読んでいないという方で作品の結末は知りたくない、という方のために、次のコメントへのジャンプを設置させていただきました。しかしmicahさんのコメントはたいへん興味深いので、ジャンプされた方はぜひ作品読了後にあらためてご覧下さい。よろしくお願いいたします)
もうしわけございません。ネタバレにしてしまいましたね。
お気遣い感謝します。
次回からは気をつけます。
いえいえ、とんでもないです!僕はむしろ、みんな気にしすぎじゃないか、と思っています;)ただ、僕には特殊の事情がありますので(笑)念には念を入れさせていただきました。失礼いたしました。
あらすじを読むとか、結末をきく、というのは、旅行でいえば、ガイドブックを読むとか、絵はがきを見るようなものではないでしょうか。それで、もう旅行に出かける必要がない、なんて、ほんとに旅の好きな人だったら絶対に思わないと思うのです;)
こんにちは。
自分のブログ用に書いた拙い感想ですが、こちらのコメントにも投稿させていただきます。
『そこはパリ左岸のカフェ。謎めいた美しい娘ルキと、彼女を愛した男たちの静かな語りがあてどなくたゆたう。何か…気怠い空気の色が、頁を繰る指先すら染めていくようだった。そして美しい謎かけについうっとり…していたら、いつの間にかもう最後の場面に流れ着いていた。そして気が付けば私はもう、この物語を一旦くぐり抜けて振り返る位置にいる…という儚さ。取り残されたような、それとも私が何かを残してきてしまったのか…と、決めあぐねて佇む読後感。そんな哀感が素敵、なのだけれど。
《永遠のくりかえし》に捕らわれた、さみしそうな人たちばかり。その気配だけがまだ残り香のようで、いつまでも胸を締めつける。』
読み返してみると、ただただ溜め息をついているような感想ですけれど(笑)。
いずれパトリック・モディアノの他作品も読んでみたいと思っています。また、平中さんが次にどんな作品を紹介してくださるのか…といったところも、気になります。楽しみにしております^^
ありがとうございます。作品世界の空気感が、短く、的確に捉えられている、と思いました:)
モディアノに関しては、これはまず非常に重要な作家だと思っていますし、なんといっても面白いので(笑)今後も継続的にご紹介していければいいなぁと思っております。
既に邦訳された作品もたくさんありますが、この作家の世界の全体像はまだまだ日本の読者には十分に伝えられていないと思います。重要な(しかも読んで面白い!)作品でも、訳されていないものがまだまだあります。問題は、どの作品からご紹介していくか、なのですが…
なにしろ作品が多い上に、どれも面白いので決めかねるのですが、ここは、今回の作品のみなさんのご感想をうかがって、それに応じてご紹介の順番を考えていきたい、と考えております。
そういう意味でも、今回の『失われた時のカフェで』のみなさんの感想をぜひたくさんおうかがいしたいです。どうぞよろしくお願いします!
また、こちらのHP、モディアノ翻訳計画のほうでは、少しずつモディアノ未邦訳作品を紹介していきたい、と思っております;)