今日、RERに乗ってみると、あれ、どこかで見たことのあるような文章が… 近づいてみるとやっぱりモディアノ、1984年の忘れがたい佳作、Quartier perduからの引用でした。RATP(パリ市交通局?)とパリ市合同の、パリへのオマージュがテーマの広告でした。
僕が翻訳をほんとにやってみよう、ついてはモディアノを訳してみよう、と思ったのには(例によって・笑)たくさんの理由があります。
しかし、そのうちのひとつは、モディアノくらい現代のパリを見事に描く作家はいない、と思ったから、です。何年もパリに住みましたから、僕もパリについて書いてみたい。けれどどう考えたってモディアノのパリに太刀打ちできるわけはない(笑)だったら現代のパリを描いて右に出るもののないこの名匠の作品をまず訳そう、そして勉強させて貰おう、と思ったということが実はひとつ、ありました。
現代のパリの桂冠詩人。ちょっとそう呼んでみたくなるような、モディアノがこの広告に登場していたというのは、とても自然なことのように思いました。
。。。えーっと、やはり、一応、だいたいの感じを訳しておきましょうか、この際(笑)… (といって訳そうとして思わず唸る。いやー、よくもこんなの1冊丸ごと訳したなぁ、という思いですが(笑)あくまでも、だいたい、です。もしほんとに作品ごと訳す時は、もっとちゃんと考えますので…(笑)シンプルだから、逆にほんとに難しいです。モディアノを訳すのは…)
« あの頃、パリは僕の心臓の鼓動にぴたりと呼応する街だった。僕の人生を刻むことができるのは、ほかのどこでもない、ただこの通りたちにだけだった。独りきり、あてもなく散歩する。パリの街を。ただそれだけでいい。僕は、それで、幸福だった。»
…『失われた時のカフェで』本文の翻訳から、1年近く経っていますので、訳の方針自体が変わって(あるいは《滑って》;)しまいましたが。。。しかしそれにしても、全体にレトロスペクティヴ、ある種の懐かしさにどうしようもなく貫かれているところが、いかにもモディアノ・タッチだなぁ、という気がいたします:)