新しい論文を発表 :「川へはいつちやいけない」のは誰か?

新しい小論文を『言語態』19号に発表しました。東大リポジトリより誰でも無料でダウンロードできます!
「川へはいつちやいけない」のは誰か? 物語内ナレーターの機能と効果 : 「ポスト・ナラトロジー」で読むウルフ、谷崎、賢治

今回は、博士論文『「細雪」の詩学』で展開した比較ナラティヴ理論のアプローチで、より多くの人に簡単に読んでもらえる、
より一般的に興味を持ってもらえる論文を目指しました。

前半には、やはり理論的な整理や論点の話があって、そこは興味を持てない人もいるかもしれませんが、まぁ、ここがないとその後に論じることの目的や意義も判らなくなってしまうので(笑)一応読んでみてください。
後半は、ノン・コミュニケーション理論では頻繁に論じられるヴァージニア・ウルフの作品から、翻訳も二通り出ている『』をまず踏まえて、
次に博士論文でも検討した谷崎潤一郎『』、
最後に国語教科書で読んだという人も多いのでは…と思われる、宮沢賢治「オツベルと象」を、
それぞれノン・コミュニケーション理論とナラトロジー(コミュニケーション理論)の〝あわせ技〟で分析しています;)

基本的には『「細雪」の詩学』と同じく、日本文学と海外文学が、ともに同じ文学として、一見それぞれまったく違うようでありながら、実は本質的に通じ合うところがある、という、
つまり、あらすじとか、人物とか、設定とか、舞台とか、それぞれの作家(著者)の人生や、「いいたかったこと」etc., etc. といった人の目をひく、表面的な見かけの底にある、大きくいえば〈詩学〉を求める、という論文なのですが、
今回はより短く、具体的に、また特に、国語教科書、国語教材にもなる賢治を例にして、さらに親しみやすい内容になっています。

小説や文学が好きな方はもちろん、これから小説を書こうとしている若い方にもヒントになると思いますし、
また、高校の国語科の先生方にも、今回はぜひ読んでいただきたいと思っております。 続きを読む

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続〈ナラティヴ〉とは何か?—「ストーリー」とはどう違う?

最近、時事用語化している〈ナラティヴ〉。研究者として、気になる点をもう少しだけ。前回のフォローアップです;)
*「平中悠一のニュースレター」で配信されたテクストを元にしています。

via mblogthumb-phinf.pstatic.net

前回のポスト「〈ナラティヴ〉とは何か?——〈ディスクール=言説〉との違いから」。
簡単に書くつもりが、意外と判りやすく書くのは難しく、また、あとになって読んでみると、まず最初に、

もちろん単純には、この「ナラティヴ」を「物語」と考えてもある程度まではいいわけです。[…]実用英語、AI翻訳のレヴェルでは、これで十分なのでしょう。しかし少し考えはじめたら、日本語の「物語」と英語の“narrative”は同じものなのか? 英語の中でも“narrative”と“story”は同義語と考えていいのか??など、いろいろモヤモヤしてきます。

と、“story”、既に日本語の一部となっている「ストーリー」との違いにも言及しながら、〈ディスクール〉との違いの話になって、こちらについては結局、回収していませんでした(笑)

これは「ストーリー」ということばがナラション理論やナラトロジーでは、それ自体としては厳密に定義できず、一般的な英語の話、つまり専門研究外の話にそれてしまうこと、
さらに、ナレーション理論からストーリーとは?と考えると、わりと些末というか、「そんなのナレーション分析をやってる人にしか興味ないんでは??」と思える用語の話にもなってくるので(笑)
おそらく無意識に(笑)そのへんはスルーしてしまった、ということだと思います…。

しかし現在の〈ナラティヴ〉という語の日本での使われ方は、やはり非常に遺憾というか、残念というか、
〈ナラティヴ〉ということばが本来は持っている力を使い切っていない、勿体ない使い方をされている、と思いますので、問題の、前回書き落とした部分から、もう一度この〈ナラティヴ〉ということばに、できるだけ判りやすく、再アプローチしてみたいと思います。 続きを読む

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〈ナラティヴ〉とは何か?—〈ディスクール=言説〉との違いから

〈物語〉と〈言説〉といっただけでは判らない、その違い。実はこれ、僕の専門分野です(笑) *「平中悠一のニュースレター」で配信されたテクストを元にしています。

이성자via https://cdn.dandinews.com/news/photo/201507/626_1091_5149.JPG

第1次トランプ政権からアメリカのニュースで「ナラティヴ」ということばをやたら耳にするようになりました。

同時に用いられた「フェイク・ニュース」や「オルタナティヴ・ファクト」などと並んで、もはや「時事英語」、「実用英語」の語彙として、この単語「ナラティヴ」の意味が判らなければ、ニュース記事が読めない、というようなことにもなっているでしょう(笑)

日本では、この「ナラティヴ」を「物語」程度に考えて済ませている人が多い、と思います。なぜかというと、この「ナラティヴ」という英語を日本に紹介している人たちが、ジャーナリスト、英語やアメリカ学、政治経済の専門家で、これまでこの「ナラティヴ」ということば、概念について、深く考えてきていないし、専門外で、先行研究を知らないからです(笑)

もちろん単純には、この「ナラティヴ」を「物語」と考えてもある程度まではいいわけです。

例えば、

「移民の大群が押し寄せてアメリカ人を貧困化させている」とか、

「第一次トランプ政権の経済は歴史上最高の経済であった」とか、まぁ、何でもいいですが、

これをひとつの「物語」、「お話」として提示する。

実用英語、AI翻訳のレヴェルでは、これで十分なのでしょう。しかし少し考えはじめたら、 続きを読む

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ニュースレター配信と、大型コラム「80年代はなぜ«消された»のか?」

お知らせしていましたように、2022-2023年度の試み・ポッドキャストに続いて、2024-2025年度は、ニュースレターを配信しています!
9月21日のテスト配信からここまで計13配信と、ほぼ週1、週刊のペースを実現しています;)
内容的にはソリッドなものからゆるいものまで、さまざまですが、
以下にタイトルを一覧表示しておきます。
今回特にご紹介しようと思ったのは、4回連続になった大作(笑)「80年代はなぜ«消された»のか?」ですが、
他にも何か気になるものがあれば、ぜひご覧下さい。
過去のタイトルは現在無料のメール登録のみで全て読めるようにしています。

少子化は、一人っ子→子沢山の復活??-テスト投稿 2024.09.21
«80年代の夢»はなぜついえたか。 2024.09.28
#TMIって、何?? 2024.10.05
女の子の恐いもの。#tmi 2024.10.13
紙の本はなくならない。 2024.10.19
今週の小さな幸せ。#tmi 2024.10.26
「男性のどこをセクシーと感じますか?」 2024.11.02
トランプ勝利と兵庫県知事選 2024.11.09
“可愛い”の変遷 2024.11.16
80年代はなぜ«消された»のか?(テスト①) 2024.11.23
80年代はなぜ«消された»のか?(テスト②) 2024.11.30
80年代はなぜ«消された»のか?(テスト③) 2024.12.07
80年代はなぜ«消された»のか?(結論-テスト) 2024.12.14

さて、最後に並んでいる「80年代はなぜ«消された»のか?」については、週に1回、4回連載で完結させたものですが、
一気に読みたいという方のために(笑)Mediumの方にまとめて掲載しておきました。
大型コラム、ということで、reading timeも33minとそれなりに長く表示されておりますが;)
一般の方、ただ単に80年代カルチャーの衰亡と再興(??)といったトピックに興味のある方にも、どんどん参照していただきたいので、拡散もぜひお願いいたします。

80年代はなぜ«消された»のか? Medium版

全体としては、今年の新刊、『シティポップ短篇集』の«80年代の夢»という問題系から、80年代当時一世を風靡した山崎正和『柔らかい個人主義の誕生』の未来予想を再訪し、さらに95年刊『シンプルな真実』での僕自身の指摘を踏まえつつ、最後には〈熱い社会〉ならぬ〈ゾンビ的な社会〉というコンセプトへと至る。結果、展望として、同じく今年の僕の新刊『「細雪」の詩学』の結論部分へ交差する…という、例によって、大変な「大ネタ」となっています(笑) 続きを読む

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