秋の影は長い。
——というと、いかにも自明のことのようでもある:地軸が傾いている以上、日脚は季節につれて移ろい、北半球に住んでいようと南半球に住んでいようと、秋の影は、長い。
たとえば、よくいわれるとおり、フランス人は個性が強い、個性的だ、と僕もときどきしみじみ思う(笑)
しかし日本人にだって個性はある。
日本人だってひとりひとりほんとに違う、みんな個性的だ、ということもできる。さらには、人はみんな色々だ、人間はみんな個性的なんだ、それが人間ってもんだよ、といってしまうこともできる…。
ただ、そこが、フランス人たちにまじり何年かフランス語で生活してみると、それは確かにそうなんだけど、その*個性的*とこの*個性的*は、やっぱり、ぜんぜん違うんだよなぁ。。。というような気もする。
なんというか、そういうレヴェルじゃないんだよ、もっと、*ぜんぜん個性的*なんだよ。。。もっと、こう、日本人みたいに狭い範囲でのいろいろじゃなくて、もっと滅茶苦茶広い範囲にわたって、もう、ほんとうに、いろいろなんだよなぁ…
…などと、いくらことばを重ねてみても、なかなか「そうだ、そうだ」と思って貰うことは、難しいかもしれないが(笑)
普遍性や共通項を見つけることは大切。
でもそれで肝心なところが全て押さえられる、理解できる、と思ったら。。。
それはたとえば、人はみんな死ぬ、死ぬというのが人の本質なんだよ、
といって、それ以上のことはもう何も考えないようなものだ。
それではやっぱり、どうしても、判らないことも、ある。
世の中はいろいろ。人生もいろいろ。人もいろいろ。
うん、確かにその通り。
でもその「いろいろ」なんか目じゃないくらい、ほんとに、ほんとに*いろいろ*なんだよ…。そんなことを思って、この写真を見て貰うことにした。
秋の影は、長い。たとえばフランス人にそういわれて、
ああ、そうですね、と日本人は頷くだろう。
そしてお互いに理解し合えたと思うだろう。
しかし、その時フランス人の頭の中にあるのは、たとえば、こういう影かもしれない。。
秋の影は、長い。
その通り。ことばでいえば、それだけのことだ。
でも、それだけでは、じつはなにもいい尽くされてはいない。
なんにも理解し合えてない。
こういう長さの影をふつうに思い浮かべながら、まったく同じそのことばをいう人たちがいるのだから。。
旅をする、ということは、最善の場合、自分の常識の外に旅をする、ということになる。そういう旅をしなくては、一生判らないことがたくさんある、と僕は思う。
本で読んだり、TVで見ているだけでは、どうしても、ほんとうには判らないことがある…。
実際に、その場にいって、その場に身を置いて、肌で経験する。
光や風、匂いや音、空気の感じを、身をもって経験する。
それはみんな、ひとつひとつは、とるに足らない小さなことかもしれない。
でもそういう小さなことだからこそ、本やTVのなかには、巧く捉え切れていない。
あるいはちゃんと捉えられていても、見過ごしてしまう。。
そしてそんなひとつひとつは小さなことでも、それがたくさん積み重なると、全てがまったく変わってしまう。ものの見え方自体が変わってしまう。Ça change tout、とよくフランス人がいうとおり;)
だからまず、僕は、出かけよう、旅をしよう、違う空の下に生きてみよう。
心から、そうだれもに薦めたい。
家にいて何もかも判ったような気になるのは、完全に錯覚(笑)
いま僕たちが知っていることは、絶対に——そして素晴らしいことに!——世界の全てではない。
そんなこともちろん判ってる、という人もいるかもしれない。
判ってるんなら、出かけよう。
もし本当に、判ってるなら、出かないではいられないはず。
出かけずにいられる、という間は、まだほんとには判ってない。
それは、判ってないんだよ;)
…もちろん人は何もかもを実際に経験してみるわけにはいかない。
経験を少しずつ広げながら、その経験を参照しながら、
経験できない部分については、謙虚に考える。
そのために人に与えられた力が*想像力*だろう。
そしてその想像力を働かせるための基本的な態度は、
僕にはまだまだ判らないことがある、
もしかしたら僕はまだ、なんにも判っていないのではないか…
というところに、常に立ちかえる、ということだろう。
僕には、まだまだ知らないことがある。
そういつも気づき続ける、ということだろう。
知らないことがある、判らないことがある、というのは、かならずしも恐いことなんかじゃない。
判らないことがある、という紛れもない事実を無意味化しようとしたり、それに目を閉ざしたりしない限り。まだ知らないことへの敬意を僕らが失わない限り。
明日何が起こるか、人には判らない。
でも、だからこそ、人は生きて行ける。
もし今日から死ぬ日まで何が起こるか、全て正確に書かれたアジェンダを渡されたら、その後の人生はどれほど味気ないだろう。。
明日、何が起こるか。それはだれにも判らない。
いや、ほんの1秒先に何が起こるかだって。
でもだからこそ、希望もそこにはあるのだろう。
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