公式tumblrブログ最新ポスト

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  • MPB。これもう、何ヶ月かおきにやることになってる気もしますが(笑)
    なぜかふとブラジルのラジオをつけて、完全に持っていかれる、という。。(笑)

    今回は上にクリップした、こちらの1曲:

    Adriana Calcanhotto - Nunca (Ao Vivo) 

    タイトルのNunca、歌い出しもこのひと言から始まりますが、これはフランス語でいえば《jamais》にあたるようなので、ということは、つまり《決して、永遠に》、という意味ですから、
    非常に強い、決然とした一語から始まる曲、ということになります…;)

    ルフラン冒頭には、♫サウダージ、と置かれ、もう、堪りませんが(笑)
    このまさにブラジルのポエティックを象徴するひと言、
    こちらのポスト、Pierre Barouhの追悼となってしまった部分にクリップしたそのまま、Saudadeという非常に泣かせる1曲、
    そのまたさらに泣かせる間奏の語りでピエール・バルーの語っている内容、
    ずいぶん長い間、ブラジル音楽にいつも出てくるこのことばがフランス語に訳せなかったんだけど、
    今の僕ならこう訳す…というフランス語から、さらに日本語に訳すとすると;)
    今の僕なら(笑)《恋しい》と訳したいように思うのですが。。
    このお話は、またいつか。。;)

    アルバムは、こちら:

    アドリアーナ・カルカニョット
    Loucura: Adriana Calcanhotto Canta Lupicínio Rodrigues (Ao Vivo)

    …実はこの曲、ラジオではアルバム・ヴァージョンを聴いたのですが。。

    Adriana Calcanhoto - Nunca

    そういえば、以前MPB、パトリシア・マルクス Patricia MarxからK pop、パク・チユン 박지윤を思い出す…というポストもしましたが(こちら;)
    今回、これを聴いて、*じわじわ*っと思い出したのが、こちら(#pops妄想連想):

    I’d rather leave while I’m in love 吉田美奈子

    …いがかでしょうか。。;)
    ついでにこの際、吉田美奈子さんの「時よ」も聴き直して、あの立ち直れないような衝撃を再体験してみたい方は、こちら;)

    吉田美奈子 - 時よ (Ao Vivo)

    アルバムは、こちら:

    吉田美奈子
    吉田美奈子 愛は思うまま

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    …あの夏、ベルリン。。
    2014年、ベルリン。文学、そして旅の記憶のラビリンス…。
    ようこそ、旅行記と文学論の、ナラティヴな“街の迷路”へ。

    『ベルリン日和』
    “A moment.” …それは《気づき》の時。

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    11/29/18

  • フランスより〜猫が健康にいことは、科学的に証明されている。

    Voici pourquoi les chats sont bons pour votre santé

    表題の通りですが(笑)。

    猫健康法〜猫を飼うと健康になる !!

    とTVのニュースチャンネルでいっていました;)

    さらに詳しくは、下のヴィデオで説明されています:

    猫がそこにいると(猫と暮らしていると)37%心臓発作の起こる危険性を低減する;
    猫を膝に抱いたり、ただ見ているだけでも、身体の内圧が下がり、心拍数が下がり、コルチゾールやアドレナリン(ストレス性のホルモン)の値が下がり、幸福の脳内伝達物質セロトニンやオキシトシン(?)も増加する;
    コレステロールやトリグリセリド(?)の値が下がることも証明されている;
    猫を飼っている人は飼ってない人に比べて医者に行く回数が15分の1になる;
    ただし、猫自身の健康もだいじで、ストレスがあって不幸な猫は飼い主に必ずしもいい効果も与えない;
    猫と育った子どもはアレルギーや喘息や感染症にかかる確率を下げることも証明されている;
    結果的に抗生物質のお世話になることや、学校や会社を休むことも少なくなる。。。

    。。いかがでしょうか。

    さらに上のヴィデオでは、
    フランスでは4軒に1軒が猫を飼っていること;
    猫の喉を鳴らす音で幸福性ホルモンが刺激されること;
    猫には飼い主の重大な病気に気づく能力があること;
    単なる頭痛や風邪にも、ガンや脳卒中の予兆を読み取る能力があること…
    などがまとめられています。

    Les chats nous font du bien

    …猫を飼っている皆さんには嬉しい話。
    家庭内反猫勢力の懐柔策にも使える、かもしれません… ;)

    via GIPHY

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    …あの夏、ベルリン。。
    2014年、ベルリン。文学、そして旅の記憶のラビリンス…。
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    11/12/18

  • こういう話はなかなか聞けないかもしれない、と思った話。

    こういう話はなかなか直接聞けないかもしれない、と思いました。

    選挙権も民主主義、国民主権、平和主義と一緒に*押し付け*られてしまった、戦後の日本では(笑)

    ここでOprahの語るOtis Moss牧師の話は、本当に胸に迫ります。

    もちろんぜんぶ英語で聞いてほしいのですが、
    大雑把には、こんな感じ:

    ここ、ジョージアの牧師だったオーティス・モスは
    ある朝ひとつしかないスーツにいちばんいいタイを締め、投票所へと向かいました。
    6マイル、10キロ近い道のりを歩いて、ようやくいわれた通りの投票所に辿り着くと、
    いいスーツとタイを着て来たモスに、投票所の人たちはいいました:
    違うよ、お前の来るのはここじゃない、Mountvilleまで行かなきゃいけないのさ!

    そこでモスはまた6マイル歩き、Mountvilleまで行きました。
    すると、Mountvilleの投票所の人たちは:
    違うよ、お前の来るのはここじゃない、Rosemount schoolまで行かなきゃいけないのさ!

    私の目には、浮かびます。一張羅のスーツにタイを締め、夜明けから、真っ暗になるまで、足を棒にして歩き続けたオーティス・モス。

    そしてとうとうRosemount schoolに辿り着くと、投票所の人たちはいいました:
    お前は来るのが遅いのさ、投票所は、もう閉まったよ!

    結局オーティス・モスは、一度も投票することはできませんでした。
    次の選挙が来る前に、彼は死んでしまったのです。

    だから、私は投票所に行き一票を投ずる時、自分が一度も会ったことのない人のためにも投票する、
    それは、たった一票を投票できるかもしれないと、1日に18マイル歩き続けた、このオーティス・モスのかわり、でもあるのです。

    上にクリップした動画では、続いてこのオーティス・モス牧師の、当時11歳だった、今は年老いた息子が、その日の思い出を語っています。
    その日朝早くから起きた父の高揚や決意、
    1日家で待ち続けた家族の期待、
    そしてその夜の、悲しい報告…。
    その悲しみは、一生消えないものになる、なぜならそれは最後のチャンス、次の選挙が来る前に、父が死んでしまうから。交通事故による、不慮の死で。。

    この息子もまた牧師先生で、とにかく話がうまい、しみじみと胸に語りかけてくる。
    もちろん英語で聞くと、ここに取り急ぎ簡単にまとめたことよりも、ずっと感動的な話です。

    聞いてると、聴衆の合いの手の入れ方など、これは完全にゴスペル教会のもの(笑)
    ケーブル・ニュースとインターネットの時代には、こういうことが感覚的に判るようになる。昔、本を読んで、外国語や他国の文化を知るしかなかった頃は考えられもしなかったことですね。。;)
    英語は日本語ほど判りやすくないから…といって聞かないと、当然いつまでたっても判りやすくならないです(笑)
    フランス語はやったことがない人がいても、英語はみんな習ったはず。聞いて判るようになるには、あとは聞くだけ、です!(筋トレと語学に、特別な才能はいりません !!)

    投票権の重さ、などというものは、西側先進国(=非独裁・国民主権国)ではもうほとんど顧みられない、その証拠が棄権率、
    という気もします。Mediumにも“トランプ大統領が生まれたのは、反対なのに投票に行かない人が多かったから”というように書いてしまいましたが、
    現在のアメリカでも、この当時、この物語といわばまったく同様に、極力マイノリティー、少数派に投票をさせないようにする、
    投票するためのハードルをどんどん上げていく、ということがどうも行われているようで、トランプ支持者はもちろん「フェイク・ニュース」というでしょうが(笑)こちら:
    CNN Special Reports Presents Democracy in Peril: The War on Voting Rights

    トランプが大統領選のpopular vote、つまり多数決では負けている、というのは米政府も認める(トランプ本人以外w)公式の事実、ですが、勝っている選挙区でも歴史的な僅差で、これは本当に僅かな投票率の低下でも実現可能、なようですね。。

    もちろんソースは*king of fake news*、CNNですが(笑)
    ジャーナリズムには、いってみれば、フェイク・ニュースにならないための方法論が歴史的に構築されているから、その手順を問題なく踏まえてあれば、フェイクと無視することはできません;)

    しかし、*フェイク・ニュース*というなら、popular voteで負けたことも含め、
    何万人もの人々が不正に投票している、とトランプは繰り返しますが、
    これは人種差別主義者から見れば、あながち*でたらめ*でもなく、
    *本来投票すべきでない*、マイノリティや、英語もうまく喋れないような人まで投票している!!と考えれば、むしろ真面目な、単純に*正直な*発言、なのかも。
    その考えに従えば、投票のハードルを上げる、
    例えばトランプがさかんに訴えているように、投票用の身分証明書を導入し、それを取得していない人は投票できなくする、
    などというのは、非常に*正しいこと*になる気もします。
    (あくまでも差別主義者、白人、男性、異性愛等の既成権力至上主義者から見れば、ということです)

    このオーティス・モス、たらい回しにされ1日歩き続けた老牧師の話から、ぱっと、
    差別のため病院に拒否されるうちに父を亡くしたというビリィ・ホリディの有名なことば:
    父を殺したのは肺炎じゃない、ダラス、テキサスだ、
    も思い出しました。
    が、さすがに奇妙な果実をここでクリップするのも重いですので、
    同じように悲しいですが、ガツンとではなく、もう少しじわじわ心に染み込んで来るところで、
    Nina SimoneのGershwinをクリップしておきます。

    かちっとしたスタジオ版が好きなのですが、名曲だけにいまは聴きたくない、聴くと減る;)という方もいらっしゃるでしょうからw
    youtubeにあったライヴをひとつクリップしておきます:

    実はニーナ・シモンのStrange Fruitもyoutubeにはありました。こちらには歌詞にあわせて正視に耐えない映像もついており、ほんとにこの曲を知らない人、奇妙な果実の意味を知らない人は、一度見てみてもいいかもしれません…。

    …そういえば、日本では、最近強制連行というのを徴用といい換えているようですが、もちろんこれはまったく同じ意味なので、当然例えばフランス語では、何も変わらずtravail forcé、強制労働、のままです。
    もし本当に、思いやりや共感、というのが現代日本の貴重な価値観である、というのなら、
    日本というバブルの中だけで通用する孤立した*共感*を追い求めるのでなく、
    もっと、ほんとの第3者から見たらどう見えるか。
    差別主義者でないのなら、他の国、他の文化からはどう見えるか、
    そこを想像し理解する;
    アメリカの公民権運動も含めた、もっと大きな歴史の流れの中で、どう見えるか、
    そこを踏まえた上で、どう振る舞うのが最善か。。
    そう考えれば、もっと包括的に、世界の人々から同意され、韓国人も納得させ、なんといってもやっぱり日本の自由主義、人権主義の歴史はアジア随一だ。そう改めて確認される。そんな解決策がいくらでも浮かんできます。

    インターネットとソーシャル・メディア時代は、いま前例のないポピュリズムの台頭を世界各地にもたらしています。
    トランプの例でも顕著なように、外部に敵を設け、自分たちのアイデンティティが脅かされている、という被害者意識で人心をまとめる、というのはポピュリズムのいわば定石。
    他国のポピュリズムを非難することが、そのまま自国のポピュリズムになることもある。
    *共感*という美名に隠れた実質が、結局単なるポピュリズムになるのであれば、もちろんそんな*共感*力は、まったく美徳とはいえないでしょう。

    yuichihiranaka:
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    …あの夏、ベルリン。。
    2014年、ベルリン。文学、そして旅の記憶のラビリンス…。
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    『ベルリン日和』
    “A moment.” …それは《気づき》の時。

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    11/07/18

  • photo from Tumblr

    チッコリーニ、語る

    チッコリーニといえば、当時はまだブームになっていなかったエリック・サティの全集を録音したことで初めて知った、という感じですが、特にサティのスペシャリスト、というわけではなく、忘れられた過去の音楽を網羅的に録音するのが好きだったようです。

    こちらはどうしてショパンを長い間弾かなかったのか、と訊かれたチッコリーニの答え。
    コルトーの引用を含めた最後のところがなかなか厳しいので、クリップしておきます:

    Je l'ai simplement moins joué en récital. Le public s'est fait une idée stéréotypée de ce compositeur, modèle du romantique phtisique portant son coeur en bandoulière, avec des langueurs et des poussées de fièvre nationaliste. J'ai eu peur à mon tour de tomber dans cette caricature, de l'exposer à cette déformation tentante, puisqu'un interprète peut projeter dans cette musique toutes ses angoisses : à mon âge, en faire une sorte de confesseur ne m'intéresse pas. A ce propos, Alfred Cortot avait une phrase très juste, qui sonne comme un avertissement : « La musique n'est pas une poubelle dans laquelle on jette impunément ses échecs personnels. »

    – Aldo Ciccolini https://www.telerama.fr/musique/entretien-avec-le-pianiste-italien-aldo-ciccolini-le-public-applaudit-a-n-importe-quoi,122348.php

    曰く、ショパンの音楽には演奏者の苦悩をみんな投影することができる。 
    この歳になると、汚れた魂を告白することに興味はない。
    コルトーの警告した通りだよ:音楽は、ゴミ箱じゃない。罰を受けることなくそこに個人的な失敗を抛りこめるものじゃない。

    …チッコリーニの晩年のショパンがYouTubenにあったので、これもクリップしておきます:

    CHOPIN Nocturnes op.62 n.1 et n.2

    …びっくりするくらい、遅い(笑)

    しかしチッコリーニにいわせると、interprétation、解釈、演奏者の自由、とは、

    Q: Où est, alors, la liberté de l'interprète?

    Dans sa liberté d'exister tel que la nature l'a fait ou comme l'homme qu'il a voulu devenir. Si l'on demandait à dix pianistes d'interpréter les mêmes dix mesures en tenant compte de tous les signes, pas un ne jouerait de la même manière. Parce que ma pulsation cardiaque est différente de la vôtre, et votre circulation sanguine différente de la mienne. Et je ne parle pas de notre état psychologique.

    http://www.lefigaro.fr/musique/2013/02/08/03006-20130208ARTFIG00471-aldo-ciccolini-la-musique-est-un-jeu.php

    人により、心臓の鼓動の打ち方のような生理的な条件は違う、それが演奏に反映されるもので、心理的なものではない
    …つまり、あくまでも身体性によるもので、精神の問題ではない、という立場ですね;)

    これを読んで、ふと思いついて調べてみたのですが、やはり、安部公房は1924年生まれでした。
    そしてチッコリーニは1925年生まれ。
    どうも僕は子どもの頃、この世代のインテリの考えに、かなり影響を受けたようです:
    安部公房の演劇論を読んだのは多分1979年前後だと思いますが、とにかく人物を演じる時に、その人物の心理を想像し、共感し、そこに感情移入して演じる、というような方法論を、徹頭徹尾否定しているのが安部公房のメソッドで、当時は真面目に芝居をやっていたこともあり、感情を作って演じる、ということを当たり前に考えていた、むしろそれ以外に道があるとは考えていなかったために、価値観を全否定されるようなインパクトがありました。

    例えば音楽でも、文学でも、情緒や共感に頼って作品を捉えよう、ということに、僕が非常に懐疑的なのは、
    一つには、日本の国語教育が、文学教育ではなく、
    そんなのそっちのけで、
    文章の書き手の意図を想像する訓練を通じて、人の気持ちを思いやることのできる日本人の情操を育てよう、という一種の国民化教育、実用教育を行ってきたこと、

    今日の多様化する価値観を、消費促進の見地から否定はせず、
    しかしその結果生まれてくる様々な問題には、
    具体的な解決策を与えることなく、

    ただひたすら共感力をブクブクにフォアグラ化させて、
    その非言語的、非論理的、非科学的な、
    つまり客観的には説明不可能な力=オカルト的な力によって対処しろ、という。
    *思い*(ということばが、今の日本では異様に連発されますが…;)の力で 一念岩をも通せ、とでもいうような、精神論で解決しろ、というようなことになっている。
    こういうことには、どこまでも異を唱えるほかない、ということもありますが、
    その一枚下、大元には、
    このチッコリーニの世代の人たちの、非常に厳しい考え方の影響があったんだなぁ。。と改めて思いました。

    チッコリーニの考えでいくと、さらにはこうなります:

    « Un artiste ne doit pas avoir de personnalité, provoque-t-il dans un sourire. Comme un acteur qui un soir incarne Othello et le lendemain Armand Duval, le musicien est un transformiste. Et certainement pas une superstar ! »

    https://www.la-croix.com/Archives/2009-12-18/Aldo-Ciccolini-flamboyant-doyen-du-clavier-_NP_-2009-12-18-360354

    アーティスト(演奏者)というのは、パーソナリティ、個性など持ってはいけないもなのだ、と。
    今日の日本の教育を受けて来た人には、これもまた、ほとんど価値観をひっくり返されるようなようなことば、かもしれませんね。。;)

    アルド・チッコリーニの芸術(8CD) amazon | 輸入元情報 hmv.co.jp
    〜入手困難となっていた晩年の録音を中心としたボックス・セット。

    *このポストをMedium版(コミュニカティヴィティ低減版)で読む

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    10/28/18


  • シャルル・アズナブールがどれほど偉大か、ということは、パリに住まなければ、おそらく一生判らなかっただろう、と思います。

    日本では、トリュフォーがかっこいい、という世代には有名でしょうが、それ以降の一般的な音楽リスナーには、ほとんど顧みられていないのでは?;)
    …それでも、最後となったコンサートは、東京、大阪でのものだったそうですが!

    前にも書いたかもしれませんが、僕の場合、フランスの音楽といって、ドビュッシーやフォレは昔から大好きですが、
    所謂ヴァリエテ、日本語でいうところの*シャンソン*については、
    (フランス語ではシャンソンは歌、「日本のシャンソン」「ビートルズのシャンソン」というのは、フランス語ではもちろんふつう、です!)
    まったくなんの関心もありませんでした(笑)

    しかし、もう引っ越した最初の年には、このアズナブールという人がもしTVに出ていたら絶対に見なくてはいけない…と思うようになりました;)

    もう、本当に、何が起こるかわからない、という感じ、
    その当時、TVで見たものがどういうものだったのか、はっきりとは覚えていませんが、例えば、おそらく、このあたり…
    まぁ、ちょっと、見てみてください:

    Charles Aznavour & Cyril Cinélu - Comme ils disent ( Live at Star Academy 6 - 2006)

    …どうでしょう。
    アメリカン・アイドル系の、新人発掘番組の本戦ゲスト、だと思いますが、
    新人相手に、もう、まったく容赦も呵責もない、手に汗握る、このパフォーマンス(笑)
    打ち合わせ済み、のはずですが、オケもついて行くのにやや必死の観が…;)

    この曲は特に、フランス語が聞き取れる人が初めて聴くと(レア・ケース、とは思いますが;)
    もう、衝撃的、といいますか、'72年の曲のようですが、いま聴いても、え、こんなこと、歌っていいわけ??みたいな、
    いや、僕はわが耳というか、自分のフランス語力を、聞き間違えでは…と疑いましたね。。(笑)

    今回、改めて検索をしてみると、新しいところだと、Zazとのデュオもありました:

    zaz
    J'aime Paris au mois de mai (en duo avec Charles Aznavour) mp3 prime 無料 | CD

    元はダイアン・リーヴスとのデュエットのようです:

    シャルル・アズナヴール
    Jazznavour mp3 | CD

    …他にも皆さん、よくご存知のところなら:

    She - Charles Aznavour (Notting Hill).avi
    (映画のOSTに使われたのはカヴァー、こちらがオリジナル、です;)

    …というわけで、こんなポストでアズナブールの偉大さをお伝えすることは到底不可能、なわけですが(笑)

    とりあえず、取り急ぎ、今回のところは、この曲でしみじみお別れしたい、と思います…:

    Nous Nous Reverrons Un Jour Ou L'Autre - Aznavour

    ・ ・ ・

    Charles Aznavour

    le 22 mai 1924 - le 1er octobre 2018 R.I.P.

    さらに聴くなら… アズナヴール・ベスト40 CD

    *このポストをMedium版で読む(コミュニカティヴィティ低減ヴァージョン)。

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    10/02/18

平中悠一公式tumblrブログa perfect day for gingham-check
公式HPでは取り上げない、政治や社会、Geekやポップス、ジャズ、TV、etc, etc…
インターネットで見つけた気になるものの、スクラップ・ブック。
最近読みたい雑誌がない、というあなたのために。…グラビア・ページもあります;)
全てを楽しむには、こちらから…。

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